もう
それは、それは
美しく風景が広がっておりました。
中央に見える溶岩が
水の流れをふたつに別つのです。
桧丸尾溶岩流と言われ
富士山では、溶岩流の上に川の流れが出来ることは珍しくありません。
千年以上もその上を水が流れると
溶岩は摩耗されてツルツルになります。
これを、滑沢、などと呼びます。
滝を逆側から見たところ。
轟々と鳴りやまぬ滝の音…
水量が昨日より、増えている。
この滝は、太古は
小佐野(おざの)の滝、と呼ばれていて
その名称は、富士王朝を唱える
宮下文書によく出てきます。
徐福と深い関係にある、その文書がらみで
よく出てくるのが
この地図。
この地図は
後の制作であるという偽書疑惑などが絶えないのですが
桂川を、『寒川』と表現していることが気になります。
富士王朝と、相模の寒川には
唯ならぬ関係が有ることと
桂川は、やがて『相模川』すなわち
寒川の流れとなるからなのです。
この、滝の位置は
宇宙湖から流れ出す
寒川の初まりと一致します。
ちょうど、上の地図をひっくり返した感じとなります。
富士山が、やや左下に当たるからです。
伝説と
最新の地質学が
見事に一致します。
それにしても
この、桂川(寒川?)の流れの
この時期の美しさには
言葉を失います。
こんな近くにあるんですね』
なんどもミキさんは感嘆した。
そうなんですね…
静と動でもあり
溶岩流を流れる川
火と水でもあり…
残念なことに
ここに立ち入りが出来るのは
クレー射撃場が休みの
火曜日だけなようで
ここの美しさも
様々な伝説も
(ここは信玄の時代の古戦場だったそうです)
そして
紫龍神を祀る
お社も
ひっそりと
その錦の万華鏡の中に
埋れておりました。