やっぱり不思議だ…
忍野村忍草の東円寺
お不動さまの護摩法要のお話を先日お伝えしましたが
そのお不動さまは
明治になってからの廃仏毀釈まで
富士山吉田口一合目の
『鈴原大日堂』に鎮座されていたもので
それが下の吉田の町に降ろされて
ある日、三人の夢枕に同時にお不動さまが現れて…
というお話です。
昨日、
八十八のお話で
大日如来を検索していたら…
なんと、
あのお不動さまがどこからいらして
富士山吉田口登山道の御守りになったのか
なんと、
また⁉
あそこですよ!
あそこ‼
『正史に残る最初の富士の登頂者は12世紀中頃の駿河の末代(富士上人)である。彼は富士山に度々のぼって、富士の神・浅間菩薩(本地大日如来)を観じて、山上に大日堂、山麓の村山に大日寺を建立し、入定して大棟梁権現として祀らせた。一方吉田側2合目の小室浅間神社には平安末期に伊豆走湯山の覚台が納めた不動明王や神像があり、かつて同社役行者堂には当時の役行者木像が祀られていた(現在は甲府市・円楽寺蔵)。伊豆の修験が箱根をへて富士に峰入していたのである。』
こちら慶応義塾大学名誉教授
宮家準氏によると
平安時代末期に『伊豆走湯山の覚台が納めた』とあります。
吉田側二合目には『小室浅間神社』があり、現在は『御室浅間神社』と表記されて
勝山の里宮に降ろされています。
『不動明王や神像や』ありますが
お不動さまは一合目の鈴原大日堂
神像は勝山の里宮に降ろされたのではないかしら?
『走湯山』‼
うわっ!出ちゃった‼
先日
伊豆の伊東に行くことになったとき
静岡で伊東の近くに住んでいらっしゃる
お不動さまの護摩法要にご一緒した
『弘月さん』に
オススメの場所があれば、と
メールしたんです。
そうしたら
幾つかのオススメの中に
『伊豆山神社の境内の山に鎮座する
白山神社の背後の巨石に圧倒されます』
とあり、
わ!
伊豆山神社‼
ずっと行きたいと思って
未だに行けてない、
さらにその山の上にある巨石?
とっても惹かれたんですが
この時も行けず終い。
伊豆山神社の古名が
走湯山なんです。
(明治になるまでは神仏習合の立派はお寺だったらしい)
もーびっくり!
あのお不動さまが走湯からきたなんて
弘月さんにお伝えしたら
びっくりされるだろうなあ…
そんなこと考えてたら
今朝、
わたしがそれをお伝えするより先に
『ネットサーフィンしてたら
面白いのを見つけました』
と
弘月さんのメッセージが‼
その教えてくださった
みっつのサイト
その中で何故か気になった
ブログさん。
これがねえ
もうヤバイんです。
面白すぎるのと
シンクロしまくりで…
伊豆国奇譚
『伊豆・走湯山は岩戸山(松岳)の巌座(イワクラ)を中心にした神仙的信仰圏であり、本宮(中の本宮)と岩戸山(松岳)頂上を直線で結ぶ先には霊峰富士山の頂を観ていた。
仏教では日金山は金剛界、岩戸山は胎蔵界としての曼荼羅の世界感を構築しているが、古来では伊豆山、箱根、富士山が同一の信仰圏として生きていた。沖合の初島から富士山を仰ぐと・・・なんと・・・不思議 !!』
ね!
面白そうでしょ?
読み始めたら、帰ってこれない!
『古くより巨大な龍と赤白二龍が地底と海中を往ききし住むと言う伊豆山!
伊豆國伊豆御宮としての斎山伊豆山・走湯山にその謎の姿を追います。
更に詳しく走湯山・伊豆山の地形を考察して見ました。是非共、一見して下さい。
走り湯(はしりゆ)と云う言葉から八竜(八龍)と云う文字・言葉に転訛しています。
ついに行くときが来たんでしょうか…
弘月さん
ありがとう(^O^)