伊豆七島と呼ばれている
伊豆半島沖の島群は
正確には『伊豆諸島』と呼んだ方が適切みたい。
なぜなら、七島ではなく、ハ島あるからなんです。
『伊豆七島いずしちとう
『承和七年(840年)九月 伊豆の国に言う、賀茂郡に造作の島あり。
本の名を上津島と名づく。この島に坐はします阿波の神は三島大社の
本后なり。又、物忌奈命は即ち、さきの社の御子神なり。
承和五年(838年)七月五日夜、火、上津島の左右の海中より出ず。
焼炎は野火の如し。十二童子は相接して炬を取り、海に下り火をつく。
諸の童子は潮を覆むこと地の如く、地に入ること水の如し。
上の大石を震はし、火をもって焼きほろぼす。
この承和五年の神津島・天上山の噴火は相当大規模なもの
だったようで、その爆発音は遠く近畿圏でも聞こえたそうです。
「十二童子」とは12の火柱が立ち上った様子なのでしょう。
当時の人々にとって、それはまさに神の怒りそのものでした。
実はこの神津島の噴火からさかのぼること8年前。
朝廷は天長九年(832年)に三島大明神とその妃の
伊古奈姫神を従五位下の位に祀っていました。
神津島の噴火はその仕打ちに怒った正后・阿波命と
御子神・物忌奈命による災異と畏れられたようです。
追って承和七年(840年)には阿波命と物忌奈命は
そろって従五位下の位に祀られ、その後も常に
三島大明神に次ぐ地位を保ってゆくことになります。 』
こちらのブログさんより転載しました。(画像もお借りしました!)