古代に伊豆半島に勢力を広げていた
タタラ製鉄集団でもあったという、
アタ族。
のちに事代主系の、カモ族に追いやられて
伊豆半島の南半分から撤退を余儀無くされたが、
伊豆半島にはあちこちに
アタ族の名前由来の地名が遺されているのだという。
アタミ
アタガワ
そして田方郡(タガタ)という郡名もその名残りであると。
そうなると
多々度浜
白田
下田
石田
沢田などの田のつく地名が
何しろ海岸沿いに多いことの謎も解けるかもしれない。
(車で走ると感じるように、伊豆半島の海岸線は、奇岩がゴロゴロのそそり立った絶壁で、とてもとても田んぼなんて昔からなかったに違いないのだ。)
そして、『田子』
昨年春に龍宮窟に行ったときに
その場所は『田牛』といい
それは『とうじ』と読むのだけど、
帰りに西伊豆を回って帰って来た時
『田子』という漁港があることを知り
『田子』あるいは『た』は
古代の海洋民族の何かを現す言葉なのだはないか?と想像したものだ。
アタ族がこの地で栄華を極めていた時
陸路でやってきたのが
カモ族であったという。
カモ族は伊豆半島の南側と
伊豆七島がどうしても欲しかったようだ。
それは半島の南半分と
伊豆七島が、砂鉄の有数な産地であったことに由来したらしい。
こちらのブログさんに詳しい。
こちらのタイトルには、胸踊る。
わたしもまた、和田峠の黒曜石ミュージアムにいったとき、神津島は黒曜石の一大産地であり、関東周辺の様々な遺跡からは神津島の黒曜石が発見されていることを知ったのだから。
伊豆七島の中でもっとも重要であっただろう神津島。
そういえば
この話のはじまりはこんなことではなかったかしら?
イの神とアワの神
白濱神社のイコナヒメと
神津島のアワヒメ
どちらも 神話の事代主の妃であるというが、どちらも火の女神らしい。
そして、同一神、という説もある。
ここで、
『阿波忌部』というのが気になって来た。
列島に麻や穀物を広め
オオゲツヒメと関連があるという。
これまた、縄文の香りがプンプンするぞ…
東の空
予報通りの雪となった。