今から三千年から二千年くらい前に
かの伊豆半島では
地下資源をめぐって
様々な戦いがあったようなのです。
縄文人は、武器を持たなかった。
一万年にもわたる平和な暮らしを
この日本列島で営んでいたようですが
弥生の時代になると
何故か人は争いを始める。
伊豆半島の歴史を調べていたら
アタ族とカモ族の戦いにたどり着いてしまった。
アタ族は山の民
カモ族は海の民であったという。
にもかかわらず
アタ族は伊豆七島をはじめとする海から入り
カモ族は内陸から入ったという。
さらに、
にも関わらず
伊豆半島の南半分を制圧したのが
カモ族だという。
とっても気になるでしょ?
この『カモ族』
で
調べてみた。
『八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族。代々賀茂神社に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡を支配した。子孫は上賀茂・下鴨の両神社の祠官家となった。また、賀茂県主は同じ山城国を本拠とする秦氏との関係が深い。
出自に関する諸説
山城国葛野の賀茂県主は、大和国葛城の地祇系賀茂氏が山城に進出したものとする説がある。『山城国風土記』逸文では、賀茂県主の祖の賀茂建角身命は神武天皇の先導をした後、大和の葛城を通って山城国へ至ったとしている。しかし、『鴨氏始祖伝』では鴨氏には複数あり、葛城と葛野の賀茂氏は別の氏族であるとしている。また、『出雲風土記』では意宇郡舎人郷 賀茂神戸とあり、また現在の島根県安来市には賀茂神社があり、祖神である一言主の同一神、言代主の活躍地である東部出雲に属することから、ここを本貫とする説もある。』
やはり
コトシロヌシ…
『事代主の活躍地である東部出雲』!
これって
伊豆半島のことですよねえ?
そうでした。
イロウの岬の先端に
祀られていたのは
熊野神社でした‼