わたしが今回のこの伊豆の旅の
最終目的地と感じていた
『石廊崎』
伊豆半島の先端にあり
有名な灯台があり
そこに立てば、伊豆七島の全てが見渡せて
(まあ、この日は無理だけど)
右、駿河湾
左、相模湾
という感覚を
ぜひ、体験してみたかった。
ご存知かもしれないが
富士山の雪解け水は
河口湖と西湖でふたつに分かれる。
西湖より西は、駿河湾へ
河口湖より東は、相模湾へ。
その
左右に別れた雪解け水が
ここ、伊豆半島の先端
石廊崎で合流するのだ。
なんともドラマチックな話だ。
そこにはやはりお決まりのように神社があったことをわたしは知らなかった。
その場所はある意味、憧憬を抱いていたけれど
実際に行ったことがあったのか?
無かったのか、その場に立てば思い出すかも知れない。
少なくとも、神社というものに興味のないころに立ち寄ったのかも知れない。
その神社は『石室神社』といい
『イロウ神社』と読むのだ。
イロウ、イロウ…
海岸線を走っていて感じたのだけど
この辺りの地名は
はっきり言って、日本語ぽくない。
伊東という地名もエトゥというアイヌ語が転化した説などを紹介したけれど
なんだかここの南洋チックな空気感のせいなのか
海洋民族の香りがぶんぶんするのだ。
何度も通り過ぎて戻りつ
石廊崎港というところから
歩いて行かなくてはならないことに気がついた。
そして
徒歩20分、往復で40分かかるその石廊崎に、雨の中歩いて行くことにした。
友人は、車で待っているという。
また、一人だ。
なんだかドキドキした。
わたしは去年の頭に
姉の代官山のトンネルの話から
どんどん引き込まれていった
江戸の縄文地図
中沢新一氏の
『アースダイバー』を思い出していた。
「縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた」
中沢新一氏は
こう続けている。
『人間は昔から、『さきっぽ』の部分に深い関心を持っていた。
古代語で『サッ』そのものが、境界を意味していた。
この世にあるものの価値や数が増殖を起こすのは、決まってミサキにおいてでなければならなかった。
列島上いたるところにミサキやオザキなどと呼ばれる場所ができた。
そこで何が起こるというわけでもないのだけれど、さきっぽ、先端、岬などを見つけると、人間の心は妖しくざわめく。』