下田市にある
『白浜』は美しい花崗岩の砂の浜で
そこに『白濱神社』なるものを見つけたけど
今回はあえなく通過してしまった話を書きました。
でもそれが
とんでもなく重要であったことに
たまたま気がついたので
記しておきたいと思います。
こちら、白濱神社の祭神は
『伊古奈ヒメ』という神さまだそうで…
どなた?
初めて聞くそのお名前…
三島大社にお祀りされている
事代主さまの奥さまだというんです。
そうして
もう一方
『阿波ヒメ』
こちらは、伊古奈ヒメと
同一神らしい!
こちらは神津島にお祀りされているようです。
阿波ヒメはなんと
徳島の阿波から来たのだそうです、
そして
千葉の安房の国とも同一だそう。
うーん。
伊豆はやはり
不思議てんこ盛りの土地なんですねえ。
伊古奈ヒメ(白濱神社)という女神と
阿波ヒメ(神津島)いう女神。
そして、ここでは
共に火山の女神。
マジですか?
イの神と
アワの神が
伊豆半島と伊豆七島という場所で
なぜか出揃うのです。
小山真人先生の
『火山神の系譜』より
転載させていただきます。
『下田市の白浜神社は、伊豆の「プリオシン海岸」として本連載第12回で紹介した白浜海岸に鎮座する神社である。この神社の祭神は「伊古奈(いこな)比咩(ひめ)神」である。この女神に関して、平安時代の初期に不思議な事件があったことが、『日本後紀(こうき)』という書物に記録された。その原文自体は長い歴史の中で失われてしまったが、幸いにして別の書物に引用されて現存している。それによれば、伊古奈比咩神は天長(てんちょう)九年(西暦832年)に深い谷をふさぎ、高い岩を砕き、二千町(約2400ヘクタール)もの平地と2つの「院」(おそらく小さな丘)と3つの池を作った。当時の朝廷は、この荒ぶる女神の怒りを鎮めるために、伊古奈比咩神と三島神の2人を「名神(みょうじん)」(国が別格の神社として祭る)と定めた。三島神は伊古奈比咩神の夫であり、三島市の三島大社の祭神である。
この「深い谷をふさぎ…」の記述は、おそらく火山噴火を描いたものに違いない。なぜなら、火口からあふれ出した溶岩が谷を埋めて流れ、海岸に達して溶岩扇状地(せんじょうち)をつくることは、噴火時にありがちな事件だからである。また、火口の周囲に小火山(本連載で何度も述べてきたスコリア丘など)がつくられ、火口に水がたまれば湖や池ができる。割れ目噴火が起きれば小火山や小火口が並ぶことになる。
では832年に伊豆半島で火山噴火があったのだろうか? もしそうなら、1989年7月の伊東沖海底噴火は、伊豆での有史以来初の噴火ではなかったことになる。しかし、白浜神社付近に新しい火山は見つかっていないし、伊豆東部火山群の陸上での最新の噴火は、第95回で述べた約2700年前の岩ノ山-伊雄山(いおやま)火山列のものと考えられている。
832年事件の真相を知るヒントは、白浜神社の歴史の中にある。歴史学者たちの研究によれば、伊古奈比咩神は、かつて三島神とともに三宅島に祭られていて、後に両者ともに白浜神社に祭られ、さらに後に三島神だけが三島大社に祭られるようになった。つまり、神様の居場所が移動したのである。さらに火山学的なデータも加えることによって、832年の噴火は、両神が当時祭られていた三宅島での出来事(北斜面での割れ目噴火)と解釈されている。
なお、この話には後日談があって、6年後の838年に起きた神津島の大噴火は、三島神と伊古奈比咩神の2人が名神となったことに腹を立てた阿波神(三島神の本妻)のしわざとされている。その事情を占いによって知った朝廷は、あわてて阿波神も名神に指定したのである。
こちらは今日の
アの神
ア・サ・マの大神でもある