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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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手石の弥陀岩屋

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伊豆半島の最先端にある

『石廊崎』を
今回の旅の
最重要目的地、となぜか感じて

なかなか止まない雨の中
友人に
『もう、雨の中だったら全然行っても仕方ないよう~』と言われながら

いや、行くんだ
行くんだ、と
もう、止まらない。

友人の目的地は『下田水中水族館』だっわけで…

さきに目的を達成してしまったので
もうお帰りモード。

と、いうよりも
こちらでは激しい雨風になっているけど
自分のところの大雪が心配でならないのだ。

それはわたしとて
同じ事なのだけど

こういうの時の
行くんだ、行くんだ、は
自分も友人も止められない。


しかも、検索して
もうひとつ、気になるところを見つけてしまった。

『手石の弥陀岩屋』

ね?
気になるでしょ?

阿弥陀じゃなくて
弥陀?

しかも、手石って?

前回の手石島とは結構離れている。

『そう、ふたつあるんだよね、手石。』
と、友人。

きゃー!そうなの?

気になる
気になる。

最終目的地の『石廊崎』の
少し手前にあり
これならちょいとよって見ない?

て言うか

絶対寄る!

手石の弥陀岩屋‼



(南伊豆観光HPより)
 
『南伊豆町手石の弥陀山にある海蝕洞窟。


●阿弥陀三尊のヒストリー
昔、手石の近くに七兵衛という漁師があった。妻を亡くし、3人の子供を抱えて貧しい暮らしを送っていたが、末子の三平が重い病気にかかった。近くの寺に願を掛け朝夕お祈りをしていると、ある日七兵衛の夢枕に観音様が現れ「洞窟の海底にある鮑を取って食べさせよ」と告げた。七兵衛が小船で洞窟に漕ぎ入ると、奥から金色の光と共に三体の仏様が現れた。目も眩んだ七兵衛が思わず船底にひれ伏し、おそるおそる目を上げると、船の中にはたくさんの鮑が投げ込まれていた。これを食べさせた三平の病気はやがて回復し、その霊験は広く日本全国に知られるところとなったという。

●国の天然記念物
手石の弥陀窟は昭和9年(1934年)12月28日に『手石の弥陀ノ岩屋』の名称で国の天然記念物に指定された。大潮で波の静かな晴天の日の正午頃、この洞窟に小船で入ると、暗闇の中に金色に輝く三体の仏像が現れると言われるが、実際には洞窟の奥に、もう一つ鳩穴という別の小さな穴が本坑に対してT字型に交わり、この鳩穴を通じて洞内に差し込む日光が、洞内の岸壁の凸部を照らすことによって、あたかも暗闇の中に金色の阿弥陀像のように見えるものと考えられている 』

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こんな感じ?のイメージ。

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場所はこちらで
この伝説が元となる
青龍寺に阿弥陀如来像があるらしい。

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不思議なことに

阿弥陀如来が現れたことにより
ここの地名が生まれたらしいのに

ここの地名は
『弥陀』なのだ。

弥陀山というのがあり
同名のトンネルを抜ける。

あれ?

なんで、
『阿弥陀』の阿がないの???

続きます。



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