さて
かってに『イ』の神です。
なぜか伊豆に行くことの多いわたしは
この展開を不思議に思うようになりました。
東京から伊豆は比較的近いので
子どもの頃から馴染みのある場所でもありました。
そして
走っていても
『イ』で始まる地名が多いことに気がつきました。
今回の目的地は、
『石廊崎(いろうざき)だったのですが
(突然、前日目的地と定めた)
そこには『石室神社』なる奈良時代に源を発するオヤシロがあるらしく
それも、石室と書いてイロウと読むのです。
伊東
稲取(いなとり)
一色海岸(いっしき海岸)
などなどを横目に見ながら
そういえば
一番気になる
この『伊豆』という地名はどこから出てきたんだろう?
単純な疑問でした。
調べてみたら…
アイヌ語は出るは、
縄文とのつながり
湯が出るという『湯出づる』との関連
そして
出雲との関連
さらには
やっぱり火山との関連。
うーん
またまた途方もない妄想へと
連れて行かれそうです。
(『伊豆の語源』より転載させていただきます。結構長いです。赤字だけ読んでいただいても結構です。)
1、自然風景を由来とする説(岬、温泉)
■エトゥ説…アイヌ語のエトゥ【etu:先、鼻、くちばし、岬】が語源という説。
etu → itu → izuという具合に訛り、「伊豆」という地名になったのではという説明がなされている。アイヌはもともと縄文人の後裔であるとの仮説がある。したがって、アイヌ言葉も縄文人が使用していた言葉を土台としていたと推測する。正確に言えば、アイヌ語説というよりも、「縄文語」(そうした言語上の分類があるのか分からないが…)が語源であるということになる。伊豆の各地から縄文時代の遺跡が見つかっていることから考えて、それら縄文時代の人々がこの地域を「etu 」、「itu 」、「izu」、と呼んでいたのかもしれない、という説。…エトウ→イトウ(伊東:伊東市)という地名も縄文言葉でいう岬に由来するのでしょうか。
しかし、この説はあくまでもアイヌは縄文人の末裔である、そして縄文語を受け継いでいるとの仮説が成り立たなければまったくただの語呂合わせとなってしまいます。
■湯出(ゆいづ)説…古来より温泉が各地で湧出していたことから「湯出づ」場所という特徴に由来するのではないかという説。例えば、熱海に「井津」という地名があるそうなのですが、これが「伊豆」の語源になったのではないかという説があるようです。「井」という語意を、泉、湧水地と解釈し、「津」という語意を、船着場と解釈します。つまり、湧水のある船着場という意味をする「井津」が、広く半島全域を指す地名として使われ、後に「伊豆」へと転化していったのではないという仮説です。
しかし、「井津」という漢字がありながら、なぜわざわざ「伊豆」という当て字を用いるようになったのでしょうか。そもそも、「伊豆」という字句が公式に見られるのはいつの時代まで遡ることができるのでしょうか。
2、神道文化伝播に由来する説(斎つ、伊豆毛)
■出雲(伊豆毛)説…万葉仮名で出雲は「伊豆毛」と書くようです。つまり、「伊豆」の語源は出雲、すなわち「伊豆毛」にあるという説です。ネット上に散見した記述を総合すると次のような推論が描けそうです。その昔、出雲と関連のある部族が現在の伊豆に移動し定着したことにより、出自と関係のある「伊豆」という名称で呼ばれるようになった、と。その移動については、もちろん「伊豆国」として認識される以前の話でしょう。そして、この部族の移動に関しては、伊豆各地で祭られる神々、それにまつわる神話から解釈されたものです。ちなみに、移動は、どうやら黒潮を利用した海上交通のようです。
では、そもそもオリジナルな伊豆毛の語源とは?という新たな疑問がわきます。
■斎つ説…この説は、出雲説と関連しています。伊豆の地に移動してきた部族は、神に対する信仰に力を入れてました。この点については、延喜式という歴史書を見ると、伊豆には全国的に見ても異常なほどに「式内社」と「名神大」と格付けされた神社が存在していたことが確認できます。その理由は、信仰の対象となる火山活動が伊豆に多く見られたことによるようです。そして、伊豆は、こうした火山活動を信仰する場であったために、「斎つ」の場所と呼ばれたのではないか、それが転じて伊豆になったのではないか、という説です。これら点については、伊豆の神々というテーマで今度まとめてみたいと思っています。
3、まとめ
ここまで大雑把に伊豆に関する語源についてまとめてきたので、一応まとめをしておきたいと思います。伊豆に関する語源を探ることは、やはり「伊豆」という地域はどのような地域であるのか、という地域の「アイデンティティ」を探る思考実験となります。ここにあげただけでも、伊豆とは「岬」であるとか、伊豆とは「出湯」の郷であるとか、伊豆は「出雲」に起源のある神々の住む地である、といったアイデンティティを考えることができると思います。今回とりあげたいずれの説もやはり古代に関わることなので確たる裏づけがあるわけではなく、疑問点も多々あります。実証的に真相を探るという役割は、専門家の方々にお任せするとして、ここでは以下のようなストーリーを暫定的に組み立てておきます。
…その昔、入り江を見渡せる小高い岡に、狩猟や採取によって暮らす縄文の民が住んでいた。気候が温暖で海と山の幸に恵まれたこの地は、もしかしたら「エトゥ」と呼ばれていたのかもしれない。しかし、そんな豊で温かい「エトゥ」にも、突然、神の怒りはやってくる。火山活動である。「エトゥ」の人々は、遠く火を噴く島を祈った。そんな暮らしが何年も続いた後、そうした島々から見慣れぬ部族がやってきた。彼らは独自の「神」を持っていた…。出雲に関連するそうした部族は、この地に自分たちの「神」を祭りはじめた。こうして、「エトゥ」の人々と新たな部族が交わることで、より大掛かりな信仰が行われていき、各地にお社が数々建立されていった。そして、この地を自らのルーツに関連する名前、すなわち「伊豆」と呼んだ…。
以上は大雑把な物語です。でも、こんな風に考えると伊豆に対するイメージがちょっと変わりませんか〈笑)。温泉地とか、海と山というステレオタイプな「伊豆」イメージに固着することなく、大胆な発想で「伊豆」という枠組み自体を捉え直す。こうしたパラダイムシフト〈笑、大げさですね・・・)が、これからの「伊豆」のあり方―地域の再生を考える上での一歩なのかもしれませんね。』
こちらのブログさんよりの転載でした。
大室山とわが富士山