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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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大蛇(オロチ)のうねり ⑤縄文と宇宙湖

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もう一度
あの看板に立ち戻ってみよう。

『蛇頭疫神社 由縁』

とても気になる記述あり。

『眺めてはあかぬ霊峰富士に対峙し
西からは
鐘山、平山、峯山を体とし、
東からは
鳥居地、笹見原 湯の平を体とする
二体の大蛇が阿弥蛇で合体して蛇頭となる、
大自然の恵みにあやかる霊蹟の由縁をもって
忍草開祖の頃より祭祀されしと伝えられる。』

わたしは幾つかの地図を広げてみた。
富士山北麓の山脈に関する地図で
ここで表現されている二体の大蛇の位置を知りたくなったのだ。

しかし太古の人々は
何だってこんなにある意味の地質を読むセンスを備えているのだろう?

数千万年前
数百年万年前に
大地は盛り上がり
沈み込み
途方もない時間をかけて
目には見えないスピードで
変化してきたというのに。

まるで、今目の前で見てきたように
それを古伝として残せるのはなぜだろう?

そして
こちらで気になったのは
東からの大蛇だ。

『鳥居地』は峠の名前で
現在は鳥居地トンネルという
富士吉田へと抜けるトンネルの名となっている。
わたしが富士山に移住してすぐ
このあたりを探索したころにはまだトンネルは開通していなかった。

だけと、
それに続く東の大蛇の体
『笹見原 湯の平』は
いったいどこなのだろう。
三枚の地図をテーブルいっぱいに広げて探したが
その地名は見当たらなかった。

そこから明見へと抜ける古い道沿いに
確か鉱泉がなかったかしら。
それを『湯の平』などと呼ぶのかな?

いい加減、諦めようとしたのだけど
Google検索してみようと思い立った。

ササミハラ???

そうしたら
ヒットした!

しかもしかも…
縄文遺跡だ‼

{0995DC8A-3A63-4EE2-B94A-87367145B368:01}

鳥居地峠の南麓
富士山に対峙する場所。


『笹見原遺跡は、忍野村忍草地内、鳥居地峠南麓の斜面にあります。県道山中湖・忍野・富士吉田線建設のため、平成9~11(1998~1999)年度に発掘調査が行われました。

遺跡では地表下約1mの地層から平安時代(約1,000年前)の集落が、さらに約3m下の地層から縄文時代早期(約9,000年前)の集落跡がみつかりました。』


こちらからは

黒曜石の矢尻などもたくさん発見され

それらの石は、伊豆、信州、神津島との交易が行われていたことを物語っている。


{149BAC03-D7EE-440E-8623-DB4D0F3EADFF:01}



さらに

平安時代の遺跡からも

興味深いものが発見されている。


『水神』と墨書書きされた土器。

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〔写真〕平安時代の住居跡から発見された「水神」墨書土器

写真は笹見原遺跡の平安時代(今から1,100年前)の住居跡から出土した「水神」「可」と墨で書かれた皿です。笹見原遺跡がある鳥居地峠南麓の南側には当時、宇津湖という湖が広がっていたといわれ、笹見原遺跡は宇津湖畔に面した集落でした。平安時代の笹見原遺跡に住んでいた人々は、人の力だけでは防ぎきれない自然の災害を鎮めるため、また、水の恵みにより作物の豊かな稔りがもたらされるように、宇津湖の「水神」に祈りをささげていたと考えられます。


所在地:南都留郡忍野村大字忍草

時代:縄文時代早期、平安時代

報告書:笹見原遺跡埋蔵文化財発掘調査報告書 2003(平成17)年刊

忍野村教育委員会 笹見原遺跡発掘調査団

こちらより

笹見原遺跡
すなわちこのあたりは
一万年前も
千年前も
とてもとても大切で重要な場所だったのだ。

あの
蛇頭疫神社の祠の前からも
笹見原からも
富士山と宇宙湖(宇津湖うつのうみ)を拝することが出来る。

すなわち
遥拝の祭祀あとだ。

縄文時代も
平安時代も。

火の神と
水の神をともに拝する場所。

もしかしたら
二体の大蛇に象徴されるのは…

アの神と
ワの神???




大蛇(オロチ)のうねり
これでいったん終わりますが
こんどは少し遡って
伊豆のお話へとつながります。

蛇頭疫神社のそばのバームクーヘンは
{404B8E76-B210-4D63-A4E7-E57D5DCAE1D9:01}

完全なる
『逆断層』でした。


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