それにしてもあそこの祭神の
大禍津比売、八十禍津比売 とは
どのような神さまなのだろう。
家に戻ってから、調べてみた。
『禍津日神』というのがヒットした。
『禍津日神(まがつひのかみ、まがついのかみ)は神道の神である。禍(マガ)は災厄、ツは「の」、ヒは神霊の意味であるので、マガツヒは災厄の神という意味になる。
神産みで、黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに生まれた神で、『古事記』では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二神、『日本書紀』第五段第六の一書では八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と枉津日神(まがつひのかみ)としている。これらの神は黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司る神とされている。神話では、禍津日神が生まれた後、その禍を直すために直毘神(なおびのかみ)二柱と伊豆能売が生まれている。』
そうなんだ…
黄泉から帰ったイザナギが
禊を行ったときに生まれた神なのね。
厄災を司る神なので
忍野八海、または忍草浅間神社の表鬼門に祀られているということか…
さらに読み進めて見ると
びっくり仰天な記述が出て来た‼
『また、本居宣長は、禍津日神を祓戸神の一柱である瀬織津比売神と同神としている。『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は伊勢神宮内宮第一別宮の荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している。 』
そうなんだ!
すごく久しぶりに出てきた
縄文の水の女神
『瀬織津姫』!
それでは祠の中にいた
どうみても観音さまの像は…
龍頭観音さま???
何度か検索して見たことのあるその姿。
神仏習合の時代においては
縄文の女神も
弁財天や十一面観世音と習合される。
でも、『蛇頭疫神社』という名から
龍頭観音を想像してしまった。
昨日の朝撮った画像
似ています…
しかし
忍野村の山際の
こんな辺鄙なところに
ひっそりと
瀬織津姫を祀っていることになる、
ここの発見は忍野村に移り住んだものとして、大きかった。
と
これでまた
一件落着と思ったのですが…
仰天な発見はまだまだ
続きます。
ああ
伊豆の話に早く移行したい…