8月28日
陰暦七夕〜 牽牛を探せ 0828
“う” は 宇宙湖(うつのうみ)の う 0829
鰻(うなぎ)は宇宙から来たって
“T”のトビラ その九 『田んぼとともに生きるひと』
出羽國のお話の続きです。
鵜の島のヒカリ 0831
7月7日
“T”のトビラ その十 『九十九(TUKUMO)島と 八十八潟』
(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)
↓現代語訳
雨に濡れる象潟のネムノキの花を見ていると、
世に言う西施の美しさとはきっとこのようなものだったのかと思えてくる。
「象潟(きさかた)」は秋田県の南側日本海沿いの地名で、
今は違いますが、昔は海に浮ぶ島々の絶景地でした。
わたしがお母さまの話で興味が湧いたのは
『紀元前466年に鳥海山が噴火し、発生した大規模な山体崩壊による流れ山が日本海に流れ込み、浅い海と多くの小さな島々ができあがった。やがて堆積作用の結果、浅海は砂丘によって仕切られて潟湖ができた。そして小さな島々には松が生い茂り、風光明媚な象潟の地形ができあがった。東西の長さは20町(約2200m)、南北の長さは30町(約3300m)をそれぞれ超える程度であった。
江戸時代までは、九十九島・八十八潟が景勝地となり、「東の松島 西の象潟」と呼ばれ、松尾芭蕉の『奥の細道』(1689年)でも
と評された。』
しかし…こんどは江戸時代の地震によって
現在は、このような風景。
(画像をお借りしました。正面が鳥海山。)“う”は 鵜の島の う
8月31日…
“T”のトビラ その十一 『豊玉姫と神功皇后』
仁寿3年(853年)に天台座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられる。蚶方(きさかた)の美景と神功皇后の伝説によりこの地を占い、皇后山干満珠寺と号したという。
神功皇后の伝説とは、神功皇后が三韓征伐の帰路、大シケに遭って象潟沖合に漂着し、小浜宿禰が引き船で鰐淵の入江に導き入れたが、そのとき皇后は臨月近かったので清浄の地に移したところ、無事に皇子(のちの応神天皇)を産み終えたという『蚶満寺縁起』所載の伝承。その後、象潟で半年を過ごし、翌年の4月鰐淵から出帆し、筑紫の香椎宮に向かったという。蚶満珠寺の名は、干珠・満珠を皇后が持っていたことに由来するとされる。
安曇磯良 あずみの-いそら
貝や藻や虫がとりついた容貌をしている。中世以降の話に登場し,「太平記」によれば,神功(じんぐう)皇后が三韓に出兵する際,竜宮に使いとしていき潮の干満を左右する干珠(かんじゅ),満珠(まんじゅ)の宝をもちかえったという。海人(あま)を統率した安曇氏の祖とされる。阿度部(あとべの)磯良ともいう。
“T”のトビラ その十二 『トミの山の森へ』
『トミの山』って
“T”のトビラ その十三 『トミの山の泉へ』
ありゃりゃ〜
“T”のトビラ その十四 『瀧(TAKI)へ』
8月22日
十五夜さんの その十五 “T”のトビラ 『玉簾とエミシ』
本日、
9月23日って…
さよなら出羽國 十六夜の十六羅漢さん
“T”のトビラ
陰陽満月 宇宙湖のほとりにて 0906
kinoko
今日のわんニャン 0908
富士山北麓に
ダメでちゅよ〜〜
少し、お顔がはっきりして来たネ!
秋田 大仙市 で震度5強! 太陽フレア 、メキシコ大地震 0908
今日は、なんという日!!!
”ひふみ アート ☆ 富士は晴れたり日本晴れ ☆”
イザナギは、死んだ妻のイザナミを黄泉(よみ)の国まで追いかけて行くのですが、見てはならないイザナミの姿を見たために、揉め事になってしまうんですね。
イザナギとイザナミが泉(よもつ)平坂(ひらさか)で言い争いになったときのことは次のように書かれています。
伊奘諾(いざなぎの)尊(みこと)がいわれるのに、「はじめあなたを悲しみ慕ったのは、私が弱虫だった」と。このとき泉(よも)守(つち)道者(もりびと)が申し上げていうのに、「伊奘冉(いざなみの)尊(みこと)のお言葉がありまして、『私はあなたともう国を生みました。どうして更にこの上生むことを求めましょうか。私はこの国にとどまって、ご一緒には参りません』と」このとき菊理媛(くくりひめの)神(かみ)が申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。ただし自ら黄泉(よみ)の国を見られた。これが不祥であった。それでそのけがらわしいものをすすぎ洗おうと思って、出かけて阿波の水門(みと)と速吸(はやすい)名門(なと)をごらんになった。ところがこの二つの海峡は、潮流がはなはだ速かった。それで橘の小門(おと)(日向)に帰られて、払いすすぎをなさった。
菊理姫について記されているのはこれだけです。日本書紀の編纂者にとってはよほど都合の悪い言葉だったとみられ、おそらくは「検閲」され、「菊理媛神」がこのとき何と言ったのかは皆目検討がつきませんね。ただ菊理媛神は、イザナギとイザナミの夫婦喧嘩を仲裁してしまうぐらいですから、かなり上位の神ではないかとの説もあります。
文献などの資料がほとんどないため菊理姫に関する定説はありませんが、古代東北アジアのシャーマンの系統ではないかとの説が有力です。民俗学者の中山太郎は、菊理媛神こそ「幽冥の境にある魂の言を、この世の人に伝える霊媒者」であり、日本最初の巫女ではなかったかとしています。鳥の羽根や翼を付けたシャーマンだったのでしょうか。そうならば、白山伊勢ラインがなぜ鳥ラインなのかも説明できそうです。
古代アジアのツングース系民族の「白山部」という氏族の中で生まれた「白頭山信仰」や「太白山信仰」が海を渡ったとの説もあります。菊理姫のククリとは「結ぶ」の意味で、天と地、男女、恋人、夫婦の不和、対人関係のトラブルの解消に大きな御利益があるとされていますが、「くくる」は「水くくる」で禊の意との解釈もあります。
ネパール語の「ククリ」(刀)と関係があるのではないかとの指摘もあります。『日本書紀』垂仁紀に、新羅の王子、天之(あめの)日(ひ)矛(ほこ)が渡来、帰化した記録が残っていることから、天之日矛の出身地である朝鮮半島の聖山「太白山」になぞらえたのではないかとの説もあります。また、「白」は東北地方の「オシラサマ」(一説に火事や地震など不吉な事が起こる前兆を知らせる神様)信仰にも通じることから、シャーマン的な山岳信仰と結びついていたことも考えられますね。やはり、菊理姫が巫女的な存在であったことを示しているのかもしれません。
この白山神社が非農耕民系の村に多いことにも触れておきましょう。つまり、農耕民系の弥生人ではなく縄文人の信仰と深く結びついていることが推察されるわけですね。神道家の金井南龍(故人)が『神々の黙示録』(徳間書店)の中で「天皇家が白山一族を滅ぼして奴隷にした」と指摘しているように、現在白山神社がある場所に住み、白山を信仰していた非農耕民系の人々は、ちょうど両面宿儺の伝説と同じように「逆賊」として、大和朝廷に滅ばされて奴隷にされたのではないかとも思えてきます。そして原日本人(石器時代から縄文時代後期までに日本に渡来、もしくはすでに住んでいた人々)の歴史は改ざんされ、もしくは抹殺されたのではないでしょうか。
東京の東村山市教育委員会が出版した『白山神社と太陽信仰の研究』の中でも、「(白山神社に祀られている神が)東日本では多く、今日は被差別部落の神」となっているとし、「白山神社に関する上古史は、大きな力によって消滅させられているようで、加賀白山本宮の古文献を収めた一〇〇〇余頁を超える『白山比め神社叢書』の中に、白山の上古史をうかがわせるものは皆無である」と書かれています。そう考えると、白山神社が被征服者の信仰と密接に結びついていた可能性が強いです。菊理媛神が大和朝廷にとって都合の悪い神として記紀神話から事実上、抹殺されたとしても不思議ではありませんね。』
白鳥ライン(霊鳥信仰と 太陽信仰)と 今日の地震 0910
白鳥ラインの謎10(霊鳥信仰と太陽信仰) | 天の王朝 - 楽天ブログ
『竹内文書に言葉を借りれば、天空浮船で「羽根飛び登り行く所を羽根」と名付け、その天空浮船を白鳥に見立てて、同様に白鳥神社など白鳥という地名を各地に配したのではないでしょうか。
空を飛ぶものへの憧憬や崇拝ーー。古代の人々に強烈な印象を植え付けたであろう天空浮船と太陽などを観測して経線や直線を引いた高度な技術は、まさに後の霊鳥信仰や太陽信仰に結びついた可能性もありますね。
それらは神話にも刻まれました。有名なのは、ヤマトタケルが死後、白鳥となって天を翔けて行く話ですね。その白鳥は夕陽を追うように西へ西へと飛んで行きました。中国の戦国時代(紀元前四〇三~前二二一年)ごろに生まれたとされる風水思想にも、聖なる鳥や太陽が登場します。風水・古代史研究家の松本司氏によると、風水は初期のころ、「青(せい)鳥(ちょう)術・青(せい)烏(う)術」と呼ばれていたそうです。この鳥は、太陽に住むと考えられたカラス(太陽の黒点)のことで、太陽光をいかに受けるかを中心に考える選地術であったといいます。また風水思想では、山脈や丘陵があたかも鳥が羽根を広げて卵を抱くようにしている「抱卵地形」が最良の場所とされています。平城京、平安京、大宰府政庁などがその例だとされていますね。
もちろんこれらの思想や神話が、羽根ラインや白鳥ラインについて、双方向通信基地説や天空浮船の発着場説を証明するものとは言えません。それでも空を飛ぶもの(天空浮船、鳥)や太陽(測量技術、時間)や光(光通信、のろし)が関係する場所が、羽根や白鳥となった可能性は強いと思うんですね。そうでなければ、一直線上にそうした地名が並ぶはずがないからです。
その説を補強する事実として、鳥ラインとも呼べる「白山ー伊勢ライン」についてもご説明しておきましょう。』
9・11 セオリツヒメノコト
今日は
■「11」の数霊の意味
11はスタートを示す数霊です。
踏み出すのは“今”であることを告げています。
同様に、同じゾロ目の数は
パートナーとの関係性、バランスを指し、
ゾロ目が増えるほど、
グループや組織全体へと拡大していきます。
また、水は11種類の状態に変化していくと、
いにしえの人は考えていたことから
11の数霊が現れるときは、
水とのつながり、水への感謝を忘れないようにしましょう。
数霊アクション
⇒自分の中でいらなくなった 古いエネルギーを
感じるものを捨てましょう。
⇒自分とパートナーとの関係性を見つめましょう。
お互いに心地よく支え合っていますか。
⇒思い切って一歩を踏み出しましょう。
考えるのは踏み出しながらでもできます!
⇒体の中にある水と体の外にある水に
感謝と敬意を表しましょう。
引用
『数は宇宙言語だった!
宇宙一切を動かす「数霊」の超メッセージ』
はせくらみゆき 深田剛史 著 (ヒカルランド)