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宇宙湖(うつのみ)綺談 ②クロキさまの虹色の光

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来た道を戻る途中に

それは、あった。

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この辺りは
溶岩流の上に出来た林で
昔は何にも無かったのだそうだ。
(現在は、民家が点在している)

この神社は、比較的新しい時代に出来たものらしく、
先の『山中湖の史話と伝説』にも
一行も触れられてはいない。

だけれども、
先ほど行った『藤塚陵』と
道は一本で結ばれており
その道は、鎌倉街道に繋がっている。

江戸時代(天明年間)に
京都の方から
藤原右京なる祈祷師がやって来て
村のために五穀豊穣を祈り
ここに祀ったのが
『九郎貴大神』ということらしい。


今から、二百余年も前のことです。白装束に身をまとい、祈講師と思われる高貴の人がある日、山中の集落を訪ねて来ました。
この時代は天明の大飢饉のころであったといいます。その人は毎日ドンツク、ドンツクと団扇太鼓を打ち鳴らしながら、集落を回り五穀豊鏡、無病患災を祈っていたと伝えられています。
村人はその時の、団扇太鼓の音色や、白装束姿やいろいろな仕種などがめずらしく、いつか、誰いうとも無く「とんちき和尚」と呼ぶようになったと言います。(和尚とは僧侶の尊称であり、神に仕える身には和尚はおかしいが、高貴な人であるという尊敬の意からであるとか)
ところがある日のこと、「とんちき和尚」は宿泊した名主の湊屋で、一升三合の「むすび」を作ってもらい、お山(現 山中口登山道に通ずる山道)へ祈祷の旅に出かけたそうです。
けれど「とんちき和尚」は、そのまま消息が絶えてしまったそうです。飢饉で苦しんでいる人びとを救うために神仏に祈りを続け、湊屋でもらったむすびが無くなってからもなお祈り続けたため、山中で命絶えてしまったのでしょうかその後、湊屋では所有地に、神社を造って九郎貴様大神をお祀りし、陰暦の三月十五日(現在は四月十五日)に、年々盛大に祭典が行なわれています。
古文書によると、藤原鎌足公子孫、藤原右京、右京改め、俊国、云々とあります。
ご神体には、奉鎮座、九郎貴大神、神霊とあり、丁丑年四月十五日、宮司と記述の文字が明確に見られます。    (山中湖村)



こちらの大祭は
4月15日‼

わたしがこの日(4月20日)に撮った画像は普通だけど、

『たまたま行ったらお祭りの日だったの〜。その日に撮った写真、なんだかスゴイのよ〜』
ルカちゃん。

えええ?
どれどれ⁇
と、見せてもらったのが
こちらの画像。

ほんとうに不思議な光が写り込んでいる!

(以下、ルカちゃんの写真をお借りしました。)

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ええええ〜⁉

わたしはあることを思い出した。

昨年の6月末に
山梨の金桜神社で撮った
不思議な…

それがこちら。
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金桜神社の桜のご神紋の上に
現れた光‼


ルカちゃんとAちゃんに見せると
似てる!似てる‼

なにかがつながって行く。

この、虹色の存在は
なんのメッセージなのだろう。



クロキさまにを後にして
最後に、
どうしても寄りたいところがあった。
それは、ここからすぐ湖畔よりにある

『高村家宗祖の墓』


おそらく
ここがもっとも重要で
この日に行ったすべての
謎解きにつながる場所であること

この時
わたしたちはまだ知らなかったのだった。






“96” 菩薩のココロ (一ヶ月遅れの彼岸)

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朝からバタバタしてました。


今日は一ヶ月遅れで
家族とお墓参りに出かけます。

実は、3月のお彼岸の時に
なんだかんだで、行けなかったのです。

家族と云っても
母、姉、わたしの三人で
河口湖から、富士宮に向かいます。


河口湖駅で
わたしの車から、レンタカーに乗り換える。

わたしの車(銀獅子ちゃん)は
ツーシータなので、
以前、姉が後ろに乗って気分が悪くなっちゃったのだ。

だから、三人で長い距離を乗るときには
駅前で、レンタカーを借りることにしています。

朝、
レンタカー屋さんが、用意してくださった
わたしたちの乗る車のNo.を見て
びっくり!

わ…96


うむむむ、
わたし、この数霊
結構好きなんです。

シルバーのMARCHです。



これに乗って墓参り…

悪くないわあ。

調べてみる。


数霊96

「菩薩」「優勝」「融合」「改良」「引力」「別れ」「集大成」「哲学」「拝殿」


菩薩の心を表す数霊。
全てのものを利他なく
慈悲の心をもって進むように、
あなたは今、導かれているのです。



おおお!

墓参りには
相応しい数霊だこと‼


お寺さまに着いて
お墓参りの前に
わたしがココロ惹かれるのは
この八重桜!

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河口湖では
ソメイヨシノが満開なのに
こちらはすでに八重桜だよ〜!



姉が言います。

お墓参りの前に
こちらに行かなくてはね。


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三師供養塔。


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後醍醐天皇を
真言密教から日蓮さまに帰依させた
あるお方の供養塔へお詣り。

1333年のお話です。

だけど、
後醍醐天皇は
第96代天皇。

ここでも、
96のメッセージ!






その後
わが家のお墓参り。


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わが家の家紋は…

『丸に隅立て四つ目』



驚いたことには
あの、山中湖のタカムラ家と同じだったんです!

タカムラ家ってなによ〜⁇


それは、次の記事で…。



墓参りの後
ランチをしました。

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ランチの店には
やはり八重桜がステキに飾られていました。


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しらす丼
頂きました。
(駿河湾の春の恵み!)



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草大福のお店には
ももがおばあちゃんになったら
こんな感じになるんだろうな、的な
ワンコがつながれていたよ。


たくさんのキーワード
頂きました。

次の記事に
つなぎます。



宇宙湖(うつのみ)綺談 ③タカムラ家宗祖の…

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宇宙湖綺談シリーズ

前回までのお話。





クロキ神社のすぐ下にある
『タカムラ家宗祖の墓』
とは
どのようなものなのでしょう。

タカムラ家とは、山中湖では
村長を何度も輩出している名家でもあります。

そんな名家に
立派なお墓があっても不思議は無いんだけど'…

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比較的新しい
墓石の周りには

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散在していたであろう
この『タカムラ家』の
石仏や石碑が
一同に集められていました。


だけど
『宗祖の墓』
って
不思議ではないですか?


この山の上にある
後醍醐天皇の孫、長慶天皇の墓といわれる『藤塚陵』

さらに下にある

『九郎貴神社』

そして、この
『タカムラ家宗祖の墓』は
直線で並んでおり

ものすごい秘密が隠されていそうです。


ルカちゃんが、4月15日
九郎貴さまの例大祭の日
たまたま、こちらを撮った画像には

やはり不思議なひかりが
写り込んでいました。


(以下、写真をお借りしました。)

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この写真を見せてもらったとき
驚いたのが

タカムラ家の家紋が
わが家の家紋と同じであることでした。

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『丸に隅立て四つ目』



まあ、
だから
なんなのだ⁉
この符号は
その程度の問題なのですが…。



この後に色々調べて行くと

隠されていた『秘密』
たどり着いてしまうのです。


蘇る “ GO DAI GO” その一

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“タカムラ”一族に関しては

なんだか、スゴイことに気がついちゃったのだけど…

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(4月20日のタカムラ家宗祖の墓)



後醍醐天皇のことを
先に書くことにいたします。


昨日は、墓参りの際に
姉と
後醍醐天皇の話になったのだけど

姉はわたしと同じく
『ゴダイゴといえば、ガンダーラだよねえ』
と、世代的にも感覚的にも
わたしと同じ反応をしたのです。

だよねえ…



それはさておき、


何故?
いま?
後醍醐天皇???


大塔宮護良親王の父君
ということもあると思いますが、
ここのところ
繰り返し出てくる

『南朝』
『後醍醐天皇』


今日も
『山中湖 寿徳寺』で検索してたのに 
出てきてしまった後醍醐天皇!


もうね、これは観念して
きちんと調べて見ることに致しました。

すると…


『後醍醐天皇が生まれたのは、鎌倉時代末期の1288年。当時天皇家は、兄弟二つの血筋が対立していました。 持明院統と大覚寺統です。 そのため、この両統が交互に皇位を継承するという取り決めがなされました。』


んんん?
非常に重要と思われる語句が出てきましたよ!

『兄弟二つの血筋』


『1301年、天皇位が持明院統から大覚寺統に移り、後醍醐天皇の兄 後二条天皇が即位しました。 後醍醐は、後宇多天皇の第二であったため、もともと皇位継承権はありませんでした。 しかし、兄の後二条天皇が若くして亡くなってしまいます。天皇位は持明院統に移りました。 大覚寺統では、次の天皇を誰にするのか、候補者を指名することになりました。 その時、歴史の歯車が狂い始めます。』


 持明院統と大覚寺統、
ふむふむ…。

後醍醐天皇は、大覚寺統なのね、

第二皇子だったために
皇位継承権はなかった!

ううむ
なんだか
なんだか
今の皇室に極似してませんか?

第一皇子が継ぐのが正当、

でも???


「 後二条天皇というのが比較的早く亡くなります。早く亡くなった結果として皇太子を誰にするのか、ということになったわけです。 早く亡くなった後二条天皇の息子、それとも後醍醐を皇太子に立てるか、 そのようなことを巡ってそれぞれの思惑はあったんですが、 後宇多天皇は、後二条天皇の子どもがある程度大きくなった時に皇太子に立てるが、つなぎの意味で、一代限りの条件で後醍醐に天皇をさせるわけです。 」



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なんだか
後醍醐天皇は

現代で当てはめると…

秋篠宮?

なんだか、すごく似てます。


『後醍醐が天皇に即位したのは、1318年。31歳の天皇は、当時としては異例の高齢でした。つなぎとして指名された後醍醐天皇でしたが、しばらくすると、後宇多上皇から権力を譲り受け自ら積極的に政務を行い始めます。』


ふむふむ…

兄弟筋で
交代で天皇を行っていたのに
後醍醐天皇は
自分の息子を天皇にしたくなった。


そのあたりには
女性の影がチラホラ…

一回ではどうも
終わりませんので
続きます。


















蘇る “GO DAI GO” その二 『三種の神器』

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天皇家に伝わる

『三種の神器』なるものがあります。

今回は
その話を。

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『三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))は、日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。また、神話に登場した神器と同一とされる、あるいはそれになぞらえられる、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこと。

三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣を指す。皇族はもとより天皇でさえもその実見はなされておらず、多くの面が謎に包まれている。』


さてさて
また、南北朝時代の話になります。

わたしもまったく興味の無かった
日本史のまたしてもこの時代、
同じく、興味の無い方も
お付き合い願えれば、と思います。


万世一系の天皇家
といわれていても
実は、ふたりの天皇が立った時代があったこと、
皇室の汚点となるのかもしれません。


もともとは兄弟で別れ
交代で皇位継承をしていた

持明院統と
大覚寺統。


第二皇子であった後醍醐天皇は
ひょんことから皇太子となり
やがて、天皇へと。


しかし
彼の野望とは…

武士の世から
再び天皇の世に戻すこと、
そして
二つに別れた皇位を継ぐ二つの天皇家を
自分の子孫に統一したかった。


彼ひとりの思いではなく
そこには女性の影…


そう

後醍醐天皇に寵愛された后

阿野廉子(あのれんし)

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じつは彼女が
大塔宮護良親王を自害するように
そそのかした、という話も。

自分の子供を次期天皇にしたいがために。

そして
その野望通り
後村上天皇が即位する…。


そうして

彼女が、後醍醐天皇に
三種の神器を隠しておくように、
提言したという記録かあるらしいのです。

だとしたら…



すごく長いのだけど
コピペしますね。



阿野廉子(あのれんし)

 「牝鶏(ひんけい)の晨(あした)するは、家の尽くる相なり」(書経(しょきょう))という中国の警句がある。女性が権勢をふるうと、家や国が滅ぶというのである。日本の歴史で、政治に口出しした女性として悪評高い一人が、後醍醐天皇の寵妃(ちょうひ)・阿野廉子(あのれんし)である。それほどの悪女だったのだろうか。

 廉子は中級貴族の阿野家に生まれた。元応元(1319)年に政界の実力者、西園寺実兼(さねかね)の娘、禧子(きし)が後醍醐天皇の中宮に立てられたおり、お付きの女官として宮中に入った。

 やがて、廉子は天皇に見初められる。美貌に加え、「口先が巧みで、天皇が喜ぶことを言う機知があった」(太平記)からだ。寵愛(ちょうあい)は深まり、3人の皇子の母となった。

 後醍醐天皇は、政治刷新への強い意欲を持っていたことでしられる。2つの皇統(持明院統、大覚寺統)の天皇が、鎌倉幕府の意向に従って短期間で交代していた慣行にも、不満を抱いていた。

 元亨(げんこう)元(1321)年、父・後宇多上皇の同意を得て院政をとどめ、親政に乗り出した。3年後には武力で幕府を倒す企てが露見し、重臣らが流罪になっている(正中(しょうちゅう)の変)。

 それでも、天皇は諦めなかった。元弘元(1331)年、今度は笠置山に籠もって決起した。しかし失敗して捕らえられ、翌年、隠岐島に配流となる。このとき、廉子が数少ないお付きとして同道している。

 2度にわたる倒幕の動きは、確かな波紋となって広がった。源氏の名門・足利尊氏が立ち上がり、ついに幕府は滅亡、建武新政がスタートした。廉子は「准三后(じゅさんごう)」(皇后などに準じる地位)に任じられるなど、厚く遇された。

 ところが、新政権は「公家一統」の方針を掲げ、功績のあった武士に冷たかった。廉子が評定や恩賞などに容喙(ようかい)したことも評判を悪くした。建武3(1336)年、不満を持つ武士に担がれて尊氏が反旗を飜した。後醍醐天皇は京を追われ、吉野に逃げ込まざるを得なくなった。南北朝の分立である。

 それから3年後、天皇は吉野の地で波乱の生涯を閉じた。廉子の生んだ義良(のりよし)親王が位を継ぎ、後村上天皇となった。しかし、いまだ12歳。廉子が北畠親房とともに後見した。

 廉子はそれから20年を生き、新待賢門院(しんたいけんもんいん)という女院号を受けて延文4(1359)年に亡くなった。彼女に厳しい『太平記』も「百官みな椒房(しゅくぼう)(皇太后の宮殿)の月に涙を落とした」と悲しみを伝えている。


彼女は
後醍醐天皇の没後
20年も生きたとされています。


そして、

阿野廉子の墓所は
なんと、なんと

楠木正成の首塚のある

あの、
観心寺???


また、降り出しにもどる?


千種姫物語・その三『七の謎』


後醍醐天皇と阿野廉子は

三種の神器を

ほんとうに隠してしまったのだろうか?

だとしたら
それは今、

いずこへ…。


忍野ノ春 2017 (0425)

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ああ、

ついにこの季節がやってきた。

わが、
忍野村にも、

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まろまろとした陽光の下


新名庄川の岸辺の桜は
満開に。

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そこに集う
幸せな人々と
幸せな時間…。


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幼稚園児が
橋の上に勢ぞろい。


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この時期
すべての花が
咲きそろう。




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夢のやうな時間が流れて…


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あれれ?
アプリにありそうな
効果画像が
なぜか、写った。

岸辺の、鯉のぼり、

右、渡辺紋。
三ツ星は、オリオン。
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なかなか、風か吹かないね。

あ、
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吹いた‼


もちろん
コイツも
初めての薫風を浴びて…。

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フキノトウに覆われていた場所は
すでに蕗の葉が出てきた。


回れ
回れ

季節の風車。


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今日の夕陽。

蘇る “GO DAI GO ”その三『日の丸』

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日の丸とは

源氏と平家の由来に始まり
武田信玄が最古の日の丸の旗を使ったのだと
今の今まで信じていたのだけど、

それが、違うのかもしれません。

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 『奈良県五條市、吉野山地の北西にある「賀名生(あのう)の里 歴史民俗資料館」に古びた絹の日章旗が展示してある。資料館の隣にある旧家、堀家に「南北朝時代(14世紀)後醍醐天皇から賜った」として、代々伝わったものだ。桐(きり)箱に畳んで収めてあり、広げると縦95センチ、幅75センチの幟(のぼり)旗という。白地は傷みが目立つが、日の丸の赤は今も鮮やかさを保つ。

 賀名生には、足利尊氏に京を追われた後醍醐天皇が一時滞在。南朝の皇位を継いだ後村上天皇は、ここに皇居を置いたとされる。堀家は南朝を支えた有力な土豪だった。』




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この
後醍醐天皇の肖像画の
頭の赤い丸⁉

これに関しても
物議を醸し出しているそうな。


『この縦型掛け軸の上部には八幡大菩薩、天照皇大神、春日大明神の神号が、貼り付けてあります。
描かれた当初はなかったものと思われます。
これは「三社託宣」という当時流行した思想です。
簡単に言うと、天照皇大神は「正直」、八幡大菩薩は「清浄」、春日大明神は「慈悲」の教えを託宣しているというもので、当時の道徳律ともいえます。
なぜこれが肖像画に張り付いているのか、よくわかりません。
あるいは後醍醐天皇は正直・清浄・慈悲を体現している人物だという主張なのかもしれません。

さて問題は頭上にある謎の赤丸太陽です。
朝廷では従来、太陽は金色が伝統でした。聖徳太子の頃、中国伝来の赤丸太陽紋が玉虫厨子に描かれていまいしたが、天武王朝の頃から、日月は金銀でした。
その伝統を破って後醍醐天皇が赤丸太陽を採用したのは密教の曼荼羅絵の影響でしょう。大日如来は太陽であり、曼荼羅絵では赤く描かれることが多い。

この赤丸太陽は後醍醐天皇の怒りの象徴だと思います。
後醍醐天皇は自ら真っ赤に燃える太陽、火の玉になって怨敵・鎌倉幕府を焼き滅ぼそうと調伏の加持祈祷を行ったのでした。
ここにおいて、赤丸太陽と怨敵調伏が結びつきました。赤丸太陽マークは怨敵調伏、悪人を滅ぼす呪術的シンボルマークとして登場しました。
赤丸太陽デザインは、普段は金丸である太陽が烈火の如く怒った時の姿として、後醍醐天皇が考案したのだと断定して良いでしょう。

後醍醐天皇の怒りの赤丸模様を南朝方武士の白旗に描けば「日の丸」の原型となります。』



アマテラスの子孫であるという代々の天皇は
赤い丸(太陽)を頭上に抱いたとしても
なんの不思議はないのだけど…


白地に赤く
日の丸染めて…

その原型が
後醍醐天皇にあったとしたら

それはそれで
またまた、びっくりなのでした。

彼はいったい…




牡牛座 新月 (水星逆行)0426

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本日 21:16より

新月ですね。

牡牛座の新月。

空模様が
夕方から
すごかった富士五湖地方です。

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怪鳥〜!的…


{D3B2AD41-9EFA-42B3-9FF4-89D4A9FE21ED:01}

こちらも…


すべて
山中湖のスーパーの駐車場より。




さて、
あまり注意を向けてなかったのが
迂闊でありました。

水星逆行の時期に入っていたのですね。

水星逆行
4/10  8:14
から
5/4  3:19
まで。

ありゃありゃ〜!

わたしは水星が守護星なので
普段は、水星の恩恵を受けている、と
勝手に思っているんですね。

それが、逆行すると
いつも、影響をまともに受けるような気がしています。

まず、
コミュニケーション能力の低下!

これ、如実にくるんだなあ…。

特に、親しい人々の間が
ギクシャクすることがあり。

結構これ、ハートに来ますよね。

言葉が足りなかったり
勘違いがおきたり…。


まあまあ
“やっぱり、水星逆行のせいじゃん!”
言い訳することも出来たりして?



家に帰ると
夢のような風景が待っていました。

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わが家のフジサクラも
満開です。



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フキノトウをいっぱい採ったお庭も
すでに蕗の葉が出て来て…


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“たま”のお気に入りの場所は
アトムのお墓の上

不思議だなあ。




水星逆行の時期のヒントが
こちらにありました!

『水星の逆行は「スピード落とせ」のサイン。
牡牛座は自然の恵みや美しさを象徴するサインだから、これはもう、「慌ただしい生活から離れ自然の美しさ、豊かさを味わいなさい」ということでしょう。

今回のGWは自然に親しむ時間をたっぷりとって下さいね~。
そうやって宇宙の意図を理解してちゃんと実行に移す開運につながりますので。』

わははらいふ



いいですね〜!


GWの予定が空いた日は
ぜひ、
富士山に来てみてくださいね!



メッセージいただければ
ご案内できるかもしれません。


水星逆行も
楽しんでしまいましょう。

自然の中でね!









ロボット の 記憶 0427

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生まれて初めて

“MRI検査”なるものを受けた。

じつは、三月末の春分の日前後の
樹海の過酷な8時間×三日間のガイドで
すっかり膝を痛めてしまったようなのだ。

町医者に通っていたのだけど
いっこうに痛みが収まらないので
ガイド仲間の勧めで
甲府の大きな病院を訪ねたのが昨日のこと。

『明日、MRI検査しましょう』
と、あっという間に決まり
今日となった。

パジャマみたいのに着替えて
カプセルのようなものに入る。

機械の音がうるさい。

宇宙船の内部みたい?

{34E7F2A4-7838-4866-BFDB-1B5CEEA9DAA9:01}

30分もこのまま
まな板の上の鯉みたい…。

いやいや、違うなあ


宇宙船に連れて行かれて
人体実験されちゃうとか?

いや、そうでもない。

そんなことは、なかった。



初めての経験は
不安を伴う。

電磁波なんでしょ?
嫌だなあ…

早く終わらないかなあ…


膝が鈍く痛み出した。
じっとしていると、痛むのだ。

動いたら、撮り直しですよ、と説明を受けた。

ああ、動かしたい、
寝返りを打ちたい。


機械音がして
なかなかうるさいし
おさまらない。


うんうん
この感じ…

まてよ、
わたしがロボットだったとき…

(そんな過去や未来があるのだろうか?)
膝の部品が壊れて
修理されているときの感覚。

それが一番リアリティがあるように感じた。


そうだ、わたしは有能なロボットだった…。

なんてこと、
あるわけないか…


30分という時間は
10分にも
3時間にも感じた。

ロボットの画像検索をしたら
今日の気分は
こちらが一番近いかな?

{EBEF3D92-B24C-42D2-A98E-D27D29272B7C:01}


だけど
昭和のロボットといえば…


{E60F12E3-51FD-4828-808C-5C45FABEAB8A:01}


こんな感じが
一般的だったよなあ…
(昭和レトロ〜!)



あのカプセルは
宇宙船のような
工場のような…



もう二度といやだなあ
MRI検査。


その後
MRI画像を見たけど
人体ってすごいよね。
(人だけじゃないけど)




だけど、おかげで
治療(修理?)の方向も決まり
しばらくは甲府に通うことになりそうだ。



明日もいきなりガイド仕事が待っている。
いよいよ、シーズンに突入してしまったのだ。



限りある肉体を
大切に、大切に扱いながら
末長く仕事をしていけるといいな。



魂の入れ物としての
わが肉体に感謝。

そして
物にも魂が宿っている、というのは
ほんとうなのだろうな、
そんなことを脳の片隅で感知した一日だった。









彩湖…GW突入 セノウミ爛漫

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こんな年もあるのね…

今年は見事に
GWに合わせた花合わせ…

古代セノウミ
現在は、西湖と呼ばれる湖は

今日はまさに
“彩湖”と呼ぶに相応しい。





{2CAE95B3-4A93-432E-9B71-40555B82181A:01}

{28511930-9489-4C2C-A4E2-11D313D7F676:01}

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{7A78F3DA-588C-4689-B128-55A32513DE15:01}

{D21C2ED7-001D-402D-A722-9CD7998F9696:01}

まさに
山、笑ふ!

{BD3714F0-6A28-4796-AB90-F3C254B45394:01}



お山の山桜も咲き始めて
脳みそが溶けちゃいそうな
爛漫な彩湖、


GWの予定がまだ決まっていない方は
ぜひ、
見にいらしてくださいね!









美輪明宏さん、瀬戸内寂聴さんと 長慶天皇 (ぴんぽんぱん ふたり話)

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やばいわ、

ヤバイ〜!

つい先日、そのお名前を知った
“長慶天皇(ちょうけいてんのう)”
こんな形でまた浮上するとは…。

きっかけは、やはりこの日…

そして、ついに深みにはまって行く…




そうしたら
ダメ押しのように
また、やって来たのです。


“長慶天皇”…

(後醍醐天皇の孫
大塔宮 護良親王の甥
第九十八代日本国天皇)

わたしだって
ついこの間まで
まったく知らなかったこの天皇の名前。


またまた
越後は寺泊の
メグちゃんから
小包が届いたのは
昨日のこと。

メグちゃんといえば
ヤヒコの謎シリーズの、日付役となってくれた方。


またもや南朝の…
てなフレーズは
今年なんど使いたくなるのだろう。

小包には
丁寧なメッセージが添えられていました。

『トヨタマヒメ様
ブログ、読んでおります。読んでおります!
長慶天皇‼  
南朝‼
気になります。
長慶天皇のことが書いている寂聴さんの本をお送りします。
お時間のある時に読んでみてください。』


小包の中には
『ぴんぽんぱん ふたり話』
という、
瀬戸内寂聴さんと
美輪明宏さんの
対談本が入っていました。


{984E8E56-0BA1-4AFF-B830-8C72D6324F60:01}

このお二人の対談本⁉


紐解くと、

のっけから
『長慶天皇』の文字が踊っていました。


ええええ〜⁉
なんで〜?



冒頭から14ページ
ずっと、長慶天皇のお話です。

後半にも出てきますが
まずは、冒頭をかいつまむと…



瀬戸内  ようやく天台寺に来てくださいましたね。
(天台寺 岩手県二戸浄法寺御山にある天台宗の寺、八十七年から瀬戸内寂聴が第七十三世住職となる)
(中略)
美輪さんは、わたしが天台寺に晋山する模様を、霊視してくださったんですね。そしてこんなふうに言われた。
『山に暗雲が立ち込めているところで、屍が累々とある。その中に一人だけ、天上眉で公家風の殿様のような髷を結った、三十から四十歳くらいのとても美しい私好みの首がある』笑

美輪  とてもいい男で、ちょいとわたしの趣味だったから(笑)
それと同時に木彫りの観音様も見えたから、
『(中略)それを祀ったら吉兆というか、良い意味で大変なことになる。心当たりおありにならない?』
あなた、それは多分、長慶天皇ではないかしらっておっしゃったのよね。
第九十八代、南朝の三代目の天皇で、足利幕府に追われて東北に逃げて天台寺でお亡くなりになった方ではないかって。


ええええ〜⁉
また、首ですか???
しかも、美輪明宏さん好みの美しい首???



聞くも初めてのこの本は
2003年に初版発行となっておりました。


チョーケー天皇、と言われても
去年この本に巡り合ったとしても
ちんぷんかんぷんであったでしょう。


このあとも
お二人の対談で
長慶天皇のお話は続くのですが

ひとつ、気になったのは…


昭和十九年に、京都に長慶天皇の御陵ができた。
戦争に負けるころに 今までなかった御陵ができたのは
怨霊封じ』なんですね、
と、瀬戸内寂聴さんが語っていること。

うむむ…


このあとも、お二人の対談は
役行者、
七面山、
日蓮上人、
法華経、
などなどなど…

めちゃくちゃ
面白いお話が展開されるのですが…

{34852692-C689-42AF-BB4F-45C2109B2BB0:01}

どうも変ですね。

なんでまた
長慶天皇なの?


なんだかとんでもないものに
巻き込まれている…

そんな気がします。


また、続きを書きますね。
このままじゃ
終われませーん。

日の丸の日 その一 『マグダラのマリアと復活のイエス』

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今日は、絶対

おかしな日だ。


ただ、
たまたま、いつもの三人が
時間があったので
山中湖に集まっただけなのに


山中湖のルカちゃんのお家に
河口湖のAちゃんと、その四歳児のM君、
そして、わたし。


おしゃべりは、とりとめも無いけれど
びっくりしたのは
ルカちゃんが
『ぴんぽんぱん ふたり話』の本を持っていて、
昨日のわたしのブログを見て驚き
読み返した、との話。

『長慶天皇!
読み返して、驚いた〜‼』
ルカちゃん。

わたしはこの日
山中湖で行きたいところがあった。

それは、
山中湖の中でも
先日の『藤塚陵』からほど近い
やはり、長慶天皇と所縁かあるらしき
『五輪塔』


そうしたら
ルカちゃん、
そこ、行ったよ、ククリの日に!
と宣うのね。

ククリの日とは
昨年の、9月9日。

えええええ〜、
そうだったの〜⁉

(この日は何しろ重要な日だったみたいでこのことは
また、あとでお伝えしようと思います。)


12時に待ち合わせをして
ランチとおしゃべりを楽しんで
すでに14時を回るころ
そろそろ、五輪塔へ行こうか、となったとき

Aちゃん
『マリアさまのところへ行きたんだけど…』
と、宣う。

山中湖のマリアさまといえば…


(わあ!
いま、気がついたけど
ちょうど、一ヶ月前なんだわ〜‼)

わたしもあれからご無沙汰で
すっかり忘れていたのだけど
寄ってみたくなったの。

三人と四歳児Mくんとで
山中湖の湖畔の
かの、修道院へ向かう。

{BB9C83E2-F392-4AB9-B36C-40B311A4FC10:01}



{1CA8674B-1173-448A-B54C-C46CDC500A41:01}

ルルドの無原罪のマリアさま。


{AA6A81AD-55BF-4DC2-AEE7-0DE4AD081794:01}

(Aちゃんの撮った写真はステキ!)

わたしはすっかり満足して
先を急ごうとしたのだけど

ふたりは
『復活のキリスト』像に
会いたいらしく、
なかなか立ち去ろうとしない。

そこに
奇跡の風が吹いたのだ。

シスターがふたり、
修道院に入って行くのを、ルカちゃんが見逃さなかった。
さらに
礼拝堂の鍵が開いていることに、Aちゃんが気付く。

『シスターに、頼んでみましょうか?』

すると、一ヶ月前と同じように
シスターは、快く
見学を承諾してくださったの。

しかも、
前回は入らなかった礼拝堂にも
今回は、入ることが出来た!

{2DD39BA9-953A-4C2B-A082-13A364CBA5EA:01}

すると…


{57334A2C-6550-4FE3-939B-18CD316533E8:01}

あれほどお二人があいたかった
“復活のイエス”が
正面に‼


{C14B60CD-E2A0-4E73-AE23-88CA4B85F99E:01}


{FED4993C-87B1-4D48-9AF6-3C69B0D55933:01}

両手をあげているのは
貼りつけのイエスではなく
復活のイエス‼

その左手には

{16C4A21C-3994-4618-817A-FB91CAE21A67:01}

{116A88BD-4C7C-4495-9F36-7CC8B2924030:01}

えええ?
これって、マグダラのマリアさまですよね、と
Aちゃん。
わたしも以前に、マグダラのマリアを検索したとき、赤いマントか出てきたなあ。


そして
貼りつけのイエスも。

{AD51C5D0-4EE3-47C0-8DDF-9E70B8B36934:01}

{D1514898-E1D7-4BAA-9EC4-23B58CC17093:01}

『INRI』って
イナリと同じなんでしょ?
と、ルカちゃん。

そうなの?



表に出ると
あの、三合目のマリア像の
モザイクが…。

{02B0AB88-293F-42F1-8108-66E9F386BBDE:01}

富士山、
桜、
マリア像…

この日は山中湖の桜が満開となり
ドンピシャリのシチュレーションじゃないの!

しかも

『せっかくいらしてくれたんだから
ちょっと待っていてくださいね』

シスターが
帽子と同じ色だよ、
そう云って
Mくんに、ロザリオを
プレゼントしてくださった。

{5FE96AD6-810F-45D6-B374-413814CD7636:01}


このマリアさまの裏側が
キリストだったと、
先ほどAちゃんからのLINEあり!

{FA9B4BAF-D073-4DE5-9D78-B4FA3718C9CB:01}



そうして
この日が天皇誕生日で
日の丸の日(旗日)であったこと

この時点では
わたしたち三人は
まだ、気がついていなかったのです。

{28779A12-D13C-4131-A0D5-2BA7C1CCDA62:01}

(後醍醐天皇は頭に赤い◯を乗せて…)


このあと、
長慶天皇の所縁の地へ
三人と四歳児で向かうわたしたちなのでした。


なんなのだ、
この日はいったい…


























日の丸の日 その二 『“御所”の 五輪塔』

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復活のキリストとマグダラのマリアにお会いしたのち


この日
わたしたちは
山中湖村にある
御所』を目指していた。

そんな字(あざ)があることを
そして、そこに
鎌倉時代のものだという
五輪塔が三基あることを
わたしは最近図書館で借りた
山中湖の史話と伝説
(山中湖村教育委員会 発行)
で、初めてその存在を知った。

しかし
ルカちゃんはすでに知っていた。
そして、いつものように
『なんだか、気になっちゃって…』
昨年の9月9日の日に
Aちゃんと、立ち寄ったのだという。

“まるく”のところを入っていくのよね、
くくりの日でしょう?笑っちゃったよねえ!

そういえば
その時の画像を送ってくれた記憶あり。


そして、この日
ほんとうだ!


{0E50D024-6CF6-4217-93FD-39C00ED69916:01}

まるく
という器やさんのお隣に

{F4FFE303-6131-4B0C-B23F-BEB183042320:01}

それは存在するのだ。


先ほどは
◯十でしょ。

{5F16D015-FF6B-4CF8-89D8-B51FE3D8A2FF:01}

なにか、おかしいね…。



さて
このお隣が

山中湖村山中
字“御所”にある
高村次郎さん宅の敷地内にある
(また、高村さんだ‼)
三基の五輪塔。

山中殿の墓だと伝えられる。

{EBD116B6-75A0-450C-AE6A-9A8EED7C54DE:01}

三基のうち、右側の一基は崩落している。
でも、まわりの調度品などが新しいためか
それほど古いものには思えない。
だけど、調査が行われており

鎌倉時代のものであろうとの推測がされていて…


{BF194CC9-E6AA-4655-B914-E92F9169D2F8:01}

立派な説明看板あり。

『甲斐国誌に〈五輪の古塔三基立てり
相伝えて、山中殿の墓という〉
村では、山中太郎左衛門(明応三年(1494年))三月二十六日合戦があり打死)の墓と伝えられる』

と、あり。

山中太郎左衛門…⁈

山中殿とは、何者なんだろう‼


先に紹介した
『山中湖村の史話と伝説』には
この五輪塔を昭和四十五年に発掘調査をした結果が書かれていて

古壺には灰のみ
一つの壺には白骨があった。
そのほか、弥生式土器(⁉)や
ヨロイカブトの一部が発見されたが、
旧のごとく埋め戻した。

とある。

そして
このあとの文に
わたしは引きつけられた!

『神代のころ、神々の産殿のあった所に南北朝時代に宮方の隠れ御殿が設けられた。』

これって、
これって
(神代のころ…)

宮下文書に出てくる
富士王朝のことじゃないの‼

さらに続きを読むと

『延元三年(1338年)、宮下右近亮高、秘密御殿を宇津湖(山中湖)上端、黒木立(ハリモミ林)の中に細き道を作り(中略)これを山中の宮と称す。
この御殿のあった所が、現在 諏訪神社、浅間神社の社地と湖畔よりの域に御所があったのである。』

山中湖村教育委員会の発行した本に
堂々と
こんなことが書かれているのだ。

そして

山中殿とは…

長慶天皇や親方の隠れ宮である山中御所の衛士に、山中太郎、二郎、三郎の三士が居り、五輪の塔はその墓であると伝えられている。』

でた‼

ところで
この御所、という場所の
古い地図あり。

{19E16B56-2674-4CC0-AE68-889D8012233B:01}

現在は
御所であった場所の真ん中を
戦後にGHQが道を作ったため
分断されてしまった。


現在の138号線である。

それによって
山中諏訪神社と
山中浅間神社は
別れてしまい
今では赤い橋を渡らないと
双方へ行けなくなっている。


(なんだか、これも意味深だ。)

そして、この御所内にある、古い塚からは
十六菊花紋のついた香炉が発見されている、という。

うーむ。


しばらく
この“御所”内を
三人で探索することにした。

すると
やはり、色々なものを
見つけてしまうのです。


続きます。

日の丸の日 その三 『隠されているもの』

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『山中殿』によって

この山中村が開けたのだ
と、
この里では、言い伝えられているそうだ。

(現在の名前は、山中湖村というのだけど、山中村と平野村が合併してその名になったらしい。)

しかし
山中湖村には現在
『山中さん』はいない。
これは不思議ではないか?

先ほどの記事に書いた
五輪塔の

『村では、山中太郎左衛門(明応三年(1494年))三月二十六日合戦があり打死)の墓と伝えられる』

以来、
山中太郎左衛門の子孫の行方はしれないとされているのだ。



しかし、
その五輪塔は、
“御所”内の、高村次郎さん宅の敷地内にあり、
高村家が手厚く祀り続けているのだという。

そして
御所を分断する道路を跨ぐと
いつも通るのに、全く気がつかなかったものを、この日に見つけた。

{8BFD070E-FE3E-4B82-A558-04B0225B6BED:01}

◯に角立て四つ目紋の
高村家の真新しい墓地‼


これは、偶然にも、
わたしの家の家紋と一緒なのだけど

この紋には
『◯十』が隠されているのだ、と
わたしは密かに思っている。

{EDE9BCB8-7B0C-4C96-BF6B-6324CD5DC98D:01}

ムーの紋章でもあり
地球の惑星記号でもある
◯十!!!

ここにも
大きな五輪塔があり
あちこちからここに集められたらしき高村家の墓石や石仏が!


{3DB6A270-985E-4BB7-901E-681A364F6B43:01}

なんてこった!
あの日
4月20日にも
奇しくも、訪れた

4月20日
そして、
4月22日は、わが家の墓参り、
そして
この日4月29日…

10日間で三回も
この家紋に出会うとは。


そして
最初に訪れた20日のあと
心さんとmioさんのブログ記事に
『小野篁(おののたかむら)』
という平安時代の人物の話題が出てきて
わたしたち三人は、驚愕したものだ。

わたしが一番驚いたのは
その、たかむらという字。

篁!!!

竹冠に皇⁉

皇の字が竹に隠されている?

さらに
“御所”の中には
『山中太郎左衛門の屋敷跡』とあり

{C4CD96EE-3E16-4E0D-9CB7-DDCC5A621A74:01}

古い塚があった。

『山中湖村の史話と伝説』によれば

十六菊花章の入った香炉、
馬具轡、
石に刻んだ菊花十六弁の四分の一にあたると思われる品々が
地下一mくらいのところから出てきたのだという。

ここは
『大森五郎氏屋敷内』であるとされ

大森さん、という名前も
なんだか大きなものを御守りする家系、
と感じてしまうのは
わたしだけかしら?


{E3ABF734-3136-43EE-ABAD-111475A59245:01}

御所内に残された石垣らしきもの。


ここからは
あの、赤い橋が見える。

{9AA46594-744D-405D-9056-05EEBC01230B:01}

国道138号線、
右、諏訪神社
左、浅間神社

もともと一つの敷地内
“御所”の中にあったふたつの神社。


そういえば
山中浅間神社って、いったこと無いんです
Aちゃん。

ではでは
お参りしましょうか、
といって
先ほど車を停めた
“まるく”の前まで戻ることにする。


ラスト一回、
続きます。






日の丸の日 ラスト‼『ふたりの姫』

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ねえ、
すごいんですよ、ここ。

そう云ってAちゃんが指差したのは
なんと、マンホール。

こっちは『木花咲耶姫』で
あっちは『豊玉姫なんです。

マンホールの柄が!!!

今まで気がついたこともなかったのに

山中湖村、
やるじゃないの〜!


ん?
でも

{1BA411ED-6526-4E4D-88A9-E80D937A6FCF:01}



これ、木花咲耶姫ですよねえ、

ルカちゃんも、頷く。

ん???
わたしには
豊玉姫に見えるんだけど…


こっちは
豊玉姫でしょ?

{D9029ADF-B778-4509-A55B-DE2CC69537F6:01}


これは確かに
豊玉姫命だ。

ウガヤフキアエズをだいていて
山中諏訪神社の欄干にある木彫りの像とおんなじだ。


でも

さっきのも

豊玉姫命じゃないの?

お二人は、いぶかしげ。

わたしは昨年の9月5日の
山中湖明神祭りの夜に初めて気がついた
『ウガヤフキアエズを抱く、豊玉姫命』の人形をもう一度確認してみた。


{28B4F8F9-561A-46FB-889A-78AF425C681E:01}

ほらね!

産衣に包まれた
ウガヤフキアエズを抱いているでしょう?

この9月5日の記事のタイトルったら!
なんてことでしょう‼


{72A0DE6D-844A-48BF-9654-CD6D79288245:01}

ウソでしょ‼

何が何だか…。

まあ良い。

先を急ぎます。

{3109F584-8232-4765-AC07-23ED8BA2DDE9:01}

山中浅間神社
お久しぶりでございます。

手水舎のコケティッシュな龍さまも
お久しぶりでございます。
{8951AA05-148B-4E5D-8437-A7F409FDCF61:01}

お神輿があった。

{20D6AA98-53F5-433A-B19D-780235A0DD24:01}

諏訪の梶紋が散りばめられていた。

こちらの神紋は、三つ巴なのに
お神輿には、ちゃんと梶紋なのね。


“御所”に祀られることになった
ふたりの姫、
木花咲耶姫と
豊玉姫

それは、そんなに古いことではないみたい。

南北朝時代といわれた時代の少しあと
戦国時代、武田と今川が手を結んだころ
1552年
明神山にあった
『天都天神大明神』
この“御所”の地に降ろした、と伝えられる。

そのときに、諏訪神社とし
建御名方神と
豊玉姫を祀ったのだと。

天都天神大明神って
誰だ???

この日
山中湖では
桜か満開たった。

拝殿と、桜を撮ったとき

{363C0153-3CB8-4F06-AA81-8C7C1F36CD8A:01}

あれ???

なんで
日の丸???


{B9EDA44B-89DE-40FE-ABF8-ACF70AE0A41E:01}


そのときに
Aちゃんが叫んだ。

今日は昭和の日でした!
今朝、TVでやってた‼


このとき
三人いっぺんに
えええええ!
昭和天皇の誕生日?
と、いうことに気がついたのだった。


なんなのだ、
この展開は…


そして
三人が解散したあと
山中湖の某所に預けた愛犬を引き取りに行き

長池で撮った画像は

{9E3E09B4-9AAF-481E-9228-5EFC741B8010:01}

なんだかすごい黒雲が立ち込めて…

このあと、すごい夕立が訪れた。

そして
夕立が上がると

{ABEC66FA-444B-4EFF-AA29-EAB1FDB4291E:01}

{03A81B3B-E30B-43B2-8C0B-E4A98AEB8997:01}

この時の空模様は
不思議だったなあ。


虹、出るよね、と思い
東の空を見たんだけど
忍野村では確認できなかった。


その後Aちゃんが
友人が撮ったという
虹の画像を送ってくれた。


{A5EC1291-AF11-4605-BBBF-431E37E3E863:01}

河口湖のベルでは虹がでたらしい!


こんなふうにして
不思議な一日が終わった。

だけれども

探求の旅は
まだまだ続きます。


星曼荼羅とは… 『宇宙湖 (うつのみ)綺談 ④ 海雲山寿徳寺

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そうそう、

この話を書かなくっては。

4月29日が
昭和天皇の誕生日とも気がつかずに
なぜかしら
98代長慶天皇の痕跡を回らされたこの日

ルカちゃんのお店に行く前に

山中湖の唯一のお寺
『海雲山寿徳寺』に
初めて立ち寄ってみたのでした。


例の
『山中湖村の史話と伝説』には
やはり、このお寺が南朝との関係がある、という伝説に触れられていたので
やはり、気になったのです。

だけど…

調べれば、調べるほど
なんだか、すごい符合に気がついちゃった!

ここには
『星曼荼羅』あり。

星曼荼羅って
なに???

調べたら

円形星曼荼羅と

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長方形星曼荼羅
なるものがあるらしい。


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この、
山中湖村の“寿徳寺”にあるのは

{9A02A29A-C6BF-44B0-9ED7-74A663E5AB6F:01}

こちら
長方形の星曼荼羅であるらしい。


そもそも
星曼荼羅ってなんなのかしら?


その前に
山中湖村のただ一つのお寺
『海雲山寿徳寺』って
どんなお寺さんなのだろう。


『弘法大師が建てた草庵が起源といわれています。開山は文応元年(1260年)とされます。武田信玄が祈願所に定めました。境内には歌劇「蝶々夫人」の主役で有名なオペラ歌手 三浦環の墓所があります。本尊は地蔵菩薩。』



そうなんです。
本尊は地蔵菩薩!

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なんの前知識もなかったわたしは
この本尊に驚きました。

そして
六地蔵もあったらしいのだけど
この日は気がつかなかったのでした。

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(画像はお借りしました)

うーむ
今年はお地蔵さまに
なんとご縁があることよ‼



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この日(4月29日)は
山中湖の桜は見頃。
鐘楼のそばの枝垂れ桜。



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境内の桜も満開に。


星曼荼羅が気になりますね。

こんな記述あり。


『紙本著色星曼荼羅
しほんちゃくしょくほしまんだら / 昭和62年1月21日 / 山中湖村平野 / 寿徳寺

古代インドおよび中国では、人や世間の吉凶禍福は星辰の作用であるとされた。そのため星を祭る「星供」の本尊として掛けられた。方形四重式の構成をなし、総計70躯の尊体を配置する』

{1950D81E-30BE-47BD-AFEC-0174B93AE9ED:01}
(山中湖村の史話と伝説』の扉にも、載っておりました!)

また、こんな記述もありました。

(じゅとくじのしほんちゃくしょくほしまんだら)

[山梨県有形文化財 絵画 山中湖村平野147 寿徳寺 昭62.1.21]

 北斗曼荼羅とも呼ばれ、古来星供(ほしぐ)といい当年星・本命星などの災厄をおそれ除災、延命を目的として星を祭る「北斗法」の本尊である。その形式に方・円の2種がある。
 山中湖村寿徳寺の現蔵する星曼荼羅は紙本、掛幅装で、本紙は縦112センチ、横87センチ。面画の構成は方形4重式で内院と第三院をあい色、第二院と外院はうぐいす色に着彩され、各院とも塗り残された月輪中に総計70体の尊体が配されたものである。

 内院の中央須弥山上巨大な月輪内の頂輪王を七星が囲み、それらの下方白群色の月輪内に仏眼がみられる。第二院は九曜及四大明王の13体、第三院は十二宮、外院には二十八宿ほか五尊を配する。

 
弘法大師、
北斗七星…。

否が応でも、あの“観心寺”を思い浮かべてしまいます。

観心寺とは

北斗七星の塚、
楠木正成の首塚、
後村上天皇の御陵…があると言われる…

うわっ!
寿徳寺を訪れたのが
4月29日
観心寺の話を聞いたのが
3月29日‼



実はね、
ここの寿徳寺を調べていた時に
またまた
南朝由来の様々な伝承にたどり着いてしまったのです。


昨日アップした
“御所”の場所は
山中湖村山中に存在するのですが

この、寿徳寺は
平野という地区にあり

平野の『金平尾根』というところに
楠木正成の子、楠正義の築いた城址の跡が発掘されたのだといいます。


『楠正義は、長慶天皇にしたがって山中の地に来て、この平野の要所に隠城を築き法皇を守護し、幾年もたたずしてこの地で逝去したものといわれている。』


マジですかあ?

『楠正義』で調べると
その人物は、楠木正成の子で
南朝とともに活躍していたが
富士山北麓の山中湖に滞在したという記述は見つかりませんでした。

不思議だな。

ずっと感じていたんだけど

富士王朝のときと一緒で
伝説というものの中には
真実と虚構が散りばめられ、
まぶされており

どちらが真実で
どちらが虚構なのか
決めつけることができないのではないかしら?

何故ならば
パラレルワールドの観念でそれを見れば
すべてが真実。


南朝(吉野宮)は
あそこにも、ここにも存在していたと思うし…
それよりも重要なことには


なぜ?
今???

このことが浮上するのだろうか、
ということに尽きるのだと思います。


星曼荼羅は

両者(大阪府河内長野市)と
南都留群山中湖村)をつなぐ橋。


そう思うと
なんとも、不思議な気がいたします。


























薫風の中で 0503

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朝、テラスに出ると


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花見と富士見が一度に出来る。

この時期だけの、
幸せな時間。

春の富士は霞がかってぼんやりしてるけど
優しい佇まいで
わたしは好きだなあ。

この右手の白い花は
花桃で
一本の木に
二色の花を咲かせる
源平桃なの。
(ここでは白い花しか写ってないけど)


庭に降りて眺めると

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簪みたいに賑やかだ。


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八重咲きの枝垂れも
満開となって

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わが家と富士山の間に咲き誇る。


足元には

水仙と
スミレ。

その上に
フジザクラが散り始めて

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スミレは
いつの間に増えたんだろう。

植えたわけではない。
自然のスミレ。
葉っぱがハート型の
タチツボスミレ。

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驚いたことには
今年は、すぐ近くで
オオルリが囀っている。

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(画像はお借りしました)


幸福の青い鳥。

わが家のそばで
営巣してくれるのかな。

毎朝、
毎夕、
この歌が聴ける
この上なき幸せ。

(こちらで聴くことが出来ます)

オオルリ鳴き声

こんな暮らしがしたかったんだ。

やっと手に入れた
移住15年目の春。

永遠の平和 (70年目の憲法記念日に)0503

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70年前の今日
今日の日本国憲法が生まれたのだそう。

平和憲法

わたしは今年も
日本国憲法第九条を
誇らしく思う。

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去年の今日も
同じことを書いていたな。


平和に行こう!0503

来年も
再来年も
わたしは同じことを書き続けるだろう。


日本で起こることは
世界で起こる。

日本の真の平和は
この地球の平和に直接関与するだろう。


もう一度
読んでみよう

日本国憲法第九条。


『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。』




白頭山(ペクトゥサン) 噴火する⁇ 0504

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北朝鮮と中国との国境にある

『白頭山』(中国側では、長白山)が
北朝鮮の核実験によって
噴火するのでは⁈

そんな報道が、
今朝、
TVで流れたのです。


ん?
むむむむ?

白頭山は
以前から
噴火の兆候があり
いつ噴火してもおかしくはない、と
当時、環境科学研究所の所長のA教授が
誠しやかにアカデミックなセミナーの場で
公言していたのではなかったのかしら?

日本の火山噴火予知チームも
中国に調査に行っている話もこの時聞いたと思います。

なにしろ
“山体膨張”が始まっている、との
緊急な話であったこと
昨日のことのように覚えています。

2011年10月15日の
ブログを始めたばかりの記事だわ、こりゃ。

ありゃりゃりゃ
キムジョンイル2016年噴火予言って…

外れたということね。

しかーし、
今回の報道は
いつ噴火してもおかしくはない
中国と北朝鮮の間にある
白頭山が噴火したとしたら

北朝鮮の核実験のせいにしちゃうんじゃないよねえ、
まさか…

なんだか、陰謀論的には
少し気になります。


かといって、

10世紀の噴火で、
日本の東北地方にも、火山灰が降り
甚大な被害を与えた噴火であったこと、
わたしたちは対岸の火事のように
他人事として
考えていてはいけないような気がします。

いつか、必ず噴火は起きる。


地球は丸い。

つながっているのです。

さて、
その話とはべつに
日本と朝鮮は
霊的なつながりがあること
そんな妄想かもしれない
お話をしますね。


白頭山の山頂には
“天池”という、カルデラ湖があるそうで、

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ここには
龍が棲んでいる、という伝説あり。


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冬は凍るそうです。

そして
白頭山瀑布なる
素晴らしい瀧があるということです。





いきなり
気になってきたのが、

ここは聖山として
これだけ信仰の対象になっているのだから
きっと、神様がいるのだわ、
と思い
その神様を調べたくなったの。


そうしたら…

びっくりな記述が出てきた。


白頭山の高句麗姫(こうくりひめ)
白山の菊理姫(きくりひめ)
となった‼


そんな説を読んだ。

いやいや、
実は、そんな予感がしていたの。


どこかて聞いていて
潜在的に知っていたのかしら⁈


そして
伊邪那美
伊奘諾の夫婦神もまた
朝鮮から来ているという話。



わたし的には、

なんでもかんでも
日本の神さまが
イスラエル(ヘブライ)や
朝鮮に由来するという話は得意ではないの。

だけれども
昨年
ある信頼おける方から
こんな話を聞いたのだわ。


伊勢神宮には、ずっと朝鮮の神様(白頭山)がいた。
だけど、そこに日本の神様が戻ってきた。
だから、日本はもう大丈夫なのです。』


わたしはこの時(昨年秋)
久しぶりに“白頭山”の名前を聞いた気がした。
そして
妙に納得をしたのです。


そして
ダメ押しのように
今年になって、似たような話を聞くことになるのです。

あの、赤松一族の姫の生まれ変わり

その方が、20年以上前に
Nさんという霊能者の方から聞いた話として、

“伊勢神宮にいるのは、朝鮮の神や”



どおおおおお〜!

時系列で考えれば

今は、伊勢神宮の神は
日本古来の神に戻っている。
だけれども
長きに渡って
朝鮮の神がそこに鎮座していたということか。

白頭山の神が帰り
伊勢神宮の神が戻ってきた⁇



日本と朝鮮

ここは、大変深い深い
つながりがあるにちがいありません。


またまた、わたしには
南朝の関連のお話が押し寄せているのですが、

『南北朝』

『南北朝鮮』

これって
ただの偶然なのかしら???


{C5CCEBD6-F206-4AC5-95B9-B0A82C522480:01}

(今日の山中湖からの富士山。
この山も、絶対
白頭山と関係がありそうな…。)

と思ってたら…

{FEC087EC-89EE-408F-AC6E-FE17A35D12E1:01}

白頭山

白山
御嶽山
富士山

一直線じゃない⁈

ヤバ〜い‼












百花繚乱(富士五湖地方のGW)

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大型連休となった

今年のGWは、
わたしはずっと仕事だったのだけど

今日で一段落しました〜!

花々の画像が溜まっていますので
一気にご紹介したいと思います。


まずは

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本栖湖の
芝桜まつり。

{DE13EC5A-BCDB-4569-ACEA-A71B20E38928:01}

わたしは行ったことがないのですが
彼が、
一昨日撮った画像。

いつもながら
色が、不思議です。


そして
4月30日
忍野村の
新名庄川の様子です。


{CCAD0F5B-5CF5-486E-B495-DE2633E9C57E:01}

なんとも長閑な
川沿いの風景。


{00A43329-F768-4AE9-A620-0A81FF534B37:01}

こいつは、花より団子!


{406C8B9B-E005-431A-99DA-4CA75C830203:01}

この日は
ソメイヨシノが満開でした。

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雪柳も。


{AAA48F50-BAE1-4A25-97A5-C3294F2D40D8:01}

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{3138B4FB-EAE9-462B-BC76-B482B4A77DBE:01}

{8BB4D50A-D862-453D-96FC-1AA1AF378E9C:01}



{EE4EA488-24AB-4708-AB8A-4BCB464886F2:01}

最後のこちらは
忍野八海二番の
御釜池です。


そして
今朝
わが家からの画像は…

{C8F7641E-8066-425A-B8D4-9EB32B70C756:01}

庭の八重枝垂桜(左)は
かなり散ってしまったのですが
右側の花桃は健在。


八重桜も開花して
賑やかな、富士五湖地方でした。






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