なぜここまで
水の流れとつながりに翻弄されるのかしら?
玉川上水を調べて
わかった事は
江戸時代初期に
羽村から分流された『たまのみづ』は
武蔵野の地を潤しながら東に向かう。
小金井の有名な桜並木
やがて国分寺のわが母校の(当時)すぐ横を通り
三鷹から中央線と交差して
太宰治の入水自殺した地点をとおり
やがて京王線とラインを共にする。
甲州街道を遡り
内藤新宿の新宿御苑に行き
例の玉藻池と合流。
玉藻池は渋谷川の源流ではなかったか。
つまり
渋谷川にも『たまのみづ』が流れていたのかも。
さらに
多摩川の源頭部は山梨県までは知っていたけと
なんと塩山だって!
恐ろしくなって来た。
あの塩山だよ!
クリスタルでキラキラの。
そこには石の玉をまつる
玉緒神社というのがあるんだ。