1990年
そこからなかなか進めませんね。
すこしづつ
すこしづつ
また、書いていこうと思います。
5月の秋冬コレクションが終わり
ネパールを旅したあと
また、タイムカードと昨年対比の世界
そして鳴り止まないデスクの電話。
そのころのオフィスというものは
携帯もない、パソコンもそれぞれのデスクにはないので
仕事は全て固定電話とファックス!
そこから逃れるためには、休暇をとって海外に逃げ込むしかなかった時代。
一月にブラジルから帰ってきてから
翔兎というニューエイジショップで
シャーリーマクレーンやバシャールの本に出会い
ヨガまで始めてしまったわたしは
さらに「精神世界」というジャンルにはまりこんでしまった。
シャーリーの本の何冊目だったか忘れてしまったのだけど
自分の前世が日本と深い関係にあり
自分の娘に「サチ」と名付けて
シャーリー自身があの「一休さん」の恋人だったという記述が出てくる。
それだけではなく
エドガーケーシーやシルバーバーチ、などなどの
そのころ夢中になって読んだ本のほとんどに
その前世に関わる話は、いわば「お決まり」に出てきた。
そして
今では「スピリチュアル系」いわゆるスピ系といわれているひとたちの
いわば
登竜門でもあるように思える
前世の探求。
わたしは誰?
何故ここにいるの?
まわりをぐるりと見渡すと・・・
何故、この人たちと今ともにいるのだろう。
家族、恋人、友人、会社の同僚・・・
きっと、きっと
前世でも一緒に泣いたり笑ったりしていたのではないかしら?
知りたい
知りたい
知りたい・・・
いまでこそ、ヒプノセラピーと言ったような催眠療法みたいなものがあるのだけど
そのころはどうしたら前世を知ることができるのかわからなかった。
占い師の門をたたくのもなんだか怪しすぎる。
どうしたら、知ることができるのだろう。
しかも確信を持って?
1988年に、黒人をテーマにしたコレクションを行なった話しをしたけれど
それは1930年代のジャズのビックバンドのレコードジャケットをユウヤが探し出してきたことに起因したのだった。
そして
1989年のアジアをテーマにしたコレクション
1990年、最後のコレクションは地球意識だった。
それとまったくリンクして
わたしの同居人、Sは
1988年に黒人をテーマにした作品「ノープロブラム」を発表し
1989年にアジアをテーマにした「ムニ」
1990年には、地球意識をテーマにした「No/9」を発表しているのだ。
これは単なる偶然だろうか?
わたしは
わたしたち三人は遠い過去でともに何か大きな存在と
戦ったことのある、「同志」だったのではないか、と考えた。
マイノリティ
社会の弱者
そんなものに非常に共感を覚えたし
それを思うときに流れる涙は普通ではなかった。
それは魂の慟哭のように思えた。
ときはバブルで
一人で海外を旅するわたしには
日本人
若い
女性の
一人旅
ということで
思い切りあちこちから面白いように、若くてハンサムな男性からお声かけがあったのだ。
これは全ての若い日本女性が海外に行けば体験できるもので
わたしだけが特別だったわけではない。
それをかわすテクニックを身につけ
それはそれで悪い気はしないもので
日本に帰ってくれば、「まったく日本人は見る目がないわねえ」
という感じで半年間くらい生きられるのだ。
日本人で女性に生まれたということは
その時点でかなり有利な人生であったと思う。
そして、今はすでに失われたもの。
「若さ」があった。
これはもう、怖いものなしだった。
最強の人生を謳歌するわたし。
にもかかわらず
そこまでマイノリティに感情移入してしまうわたしはいったい誰なのだろう?
それに、それに
過去の状況を思い浮かべるとき
わたしはまったく女性だった感覚が欠如しているのだ。
わたしはきっと・・・
男性で
何か大きなものと戦っていたに違いない。
そのときの仲間たちと
いま、知り合っているのだ。
その思いが意味もなく確信に変わっていった。
それをどうしたら
確かめることができるのかしら?
マルコムX