新宿御苑にこの日行きたかった理由は
もうひとつだけありました。
新宿御苑の起こりは
高遠藩内藤家の下屋敷跡の玉川庭園。
そのお話は前回書きました。
新宿駅東口から新宿三丁目のあたり一帯を
かつては内藤新宿と呼んでいたようですが
ここにも
父がひょっこりと顔を出すのです。
父が亡くなって、母が過去の戸籍の記憶を二つの区役所を巡って集めたとき
誰も知らない事実が発覚したのです。
浅草と向島と深川
それが父が物心ついてから終戦の年まで住んでいた
わたしたちが幾度も何度も繰り返し聞いていた話しでした。
ところが
戸籍上の出生地はなんと「内藤新宿」
東京府 豊多摩郡 内藤新宿!
これは、わたしたち家族も
誰も知らない事実だったのです、
というよりも、父自身も知らなかったと思われます。
自分では浅草か向島か深川のどれかだったか忘れてしまいましたが
そこで生まれたと話していたからです。
地図でみればどちらも隣町と言った感じで
東京の下町のエリアにすっぽり入ります。
そして父は死ぬまで、浅草が日本の中心だと信じて疑わず
「新宿や渋谷はキツネやタヌキの住処だったんだ。」と
繰り返し、わたしたちに話していたのです。
そんな新宿で生まれたとは本当に知らなかったと思われます。
そして
何故「内藤新宿」で生まれたのか
そこに何があったのか
当時を知る人々が全て他界してしまった今となっては
もう調べようも無いのです。
広重の
第八十六景
四ッ谷内藤新宿
ここはほんとうに
馬と深い関係があるようです。
御苑を散策している時
Sさんが興味深い話をして下さいました。
あの玉藻池の後ろ側に
多武峯内藤神社という藤原鎌足を祀った神社があり
残念ながら今回は時間が無くよれませんでしたが、
そこに駿馬塚というのがあり
それに纏わる話です。