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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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都知事選

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いよいよ都知事戦

あ、違った

都知事選まであと三日を残すのみとなりました。


すでにまるで結果が決まっているかのような

いや~な空気を感じます。


富士山世界文化遺産登録や

オリンピック東京に招致決定のような昨年の

一見明るいニュースのあと

何ともいえない不安感を抱いた

あの一瞬のようです。

(つまりもうすでにたくさんのお金が動いているのでは?という感覚)



でも

まだ未来は自分で決められるとするのなら

いや、まだ選べるんだと信じるとしたら


すでに東京都民ではないこのわたしが

何故か今年になって東京の水脈や龍脈のことで動かされているので

都民の方々の潜在意識に何か訴えたいと思います。



いつものように古い記憶が甦って来ました。

わたしが子供の頃から成人にいたる、12年間

いわば非常に多感な年頃だった頃

東京都知事は

「美濃部亮吉さん」でした。


この共産党と当時は社会党を支持母体とする「革新都知事」で

12年間も都民がこの人を選んだということは

わたしは何かを誇りに感じます。


高校生の時、都の美術コンクールで新人賞を受賞したときも

都立高校の卒業証書にも、この方の名前があるのがなんだか今でも誇りです。


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また父の話になってしまいますが
ファザコンなので許してくださいね。


父は明治生まれでしたので
美濃部さんのことを「みのべくん」と呼んでいました。
一都民がなんとまあ、なのですが

「みのべくんは顔がいい。
あの人相は悪いことをしない。
悪いことをするやつは顔でわかる。」
と、たいへんひいきにしていました。


美濃部さんは都民により三選されたのですが
最後の1975年の都知事選の時には
事実上、石原慎太郎氏との一騎打ちで
当時日本で一番高いビルだったと思うのですが
家からも見える「京王プラザビル」の屋上に美濃部、石原両氏のイラストが掲げられ
開票結果が出るたびに票グラフが積み上げられて
息を呑んでそれを見守っていた記憶があります。
そしてまたもや「美濃部さん」が三選されたことで大盛り上がりをしたのでありました。

あんなに白熱していた、それでもちゃんと都民がリーダーを選んでいた
1975年の都知事選挙の京王プラザビルのことを検索してみたのですが
探し当てられませんでした。

どなたか同じように覚えているかたはいらっしゃいませんか?



さて
三日後に迫った都知事選ですが
一番東京にとって必要なものは
オリンピックなのか、経済なのか、命や健康なのか
なんなのでしょうか?


ぜひ
ココロの目で人物を選んでいただきたいと思います。


ちなみに父がまだ生きていたら


「この人は人相がいい。
悪いことをしなそうだ。」
といって迷わずこちらの方を選ぶんだろうな。

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「うつのみやくん、彼はいいよ。」

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