やっと、話が「1990年」に戻ってきたけれど
なんだかどこから書いてよいのか
収集がつかなくなっている。
ああ、
2014年に入ってから
ますます押し寄せている「ある観念」と
この年に出会ったことから始めよう。
「パラレルワールド」
すなわち「平行宇宙」の話は、「バシャール」の本で初めて知ることになった。
それは今までの世界観を覆す
コペルニクス的な発想でわたしは心を掴まれた。
つまり、この世界はひとつではなくて
複数に存在する世界が同時にあるという観念だ。
それは「チューニング」する、とか
「フォーカス」する、という言葉をバシャールは使っていたと思う。
前者はラジオなど
後者はカメラなどで例えると良くわかる。
「パラレルワールドのひとつにあなたはフォーカスしている」
というわけで
夢はパラレルワールドのどこかで見ているのだという。
「なんだ、一つじゃないんだ!」
すると、未来を選ぶこともできるし
過去さえ無限に存在することになる。
そのあとに影響を受けた本は
「アメリカを変えた本」というキャッチフレーズの
ラムダスというアメリカ人が1960年代に書いた
「Be Here Now」だった。
ヒッピームーヴメントの郷愁漂うこの本は
タイトルがその全てを現していた。
「いま、ここ」
全てはここからだ。
1990年はそのような始まりとなって
ヨガを初め
新しい本にたくさん出会い
貪るように読んだその本のタイトルさえ
今はほとんど思い出せない。
エドガー・ケーシー
シルバー・バーチ
幸福へのパラダイム(湯川れい子著)
など、など、など、など・・・・
「神」とか「霊」とか「光」とか「愛」とかは
新興宗教の専売特許だと思っていて
まったく遠ざけていた言葉。
友人から頂いた「なまけものの悟りかた」すら
本棚に入れっぱなしで1ページも読んでいなかったのに
その時は夢中で読んで
「わあ、すごいや・・・」
この世界の全ては、「意識」であって
「意識」が固まるか広がるか
どちらも「いま」決められる、というシンプルさが心にフィットした。
当時わたしの通っていた会社は代官山のはずれ
青葉台と南平台の交差点のすぐそばの旧山手通り沿いにあり
駅でいうと「代官山」よりは「神泉」が近かった。
例の「ニューエイジショップ翔卯」は
槍ヶ崎の交差点近くにあったと思う。
目黒の自宅に帰るには
タクシーで帰るか
渋谷まで道玄坂を歩いて帰り、山手線に乗るか。
渋谷に出ればどこの本屋にも「精神世界コーナー」があって
よくそこで寄り道をして、本を漁った。
そのうち
お決まりのパターンが訪れた。
精神世界、いまはスピリチュアル系といったりするけど
それに「はまったもの」は先ずそこに行く。
わたしは何故、いま、ここにいるのだろうか。
ここに来る前は誰とどこにいたのだろう・・・
「自分の前世」
それが知りたくなってきたのだった。