昨日
1月17日のお話の続きです。
月江寺の駐車場に車を止めて
「池があるんです」というchiaさんの記憶を頼りに
下に降りていくと
そこには富士山の溶岩から染み出した
湧水池がありました。
マガモが数羽いて
ゆったり泳いでいました。
なんてのどかな風景なんでしょう。
しかし、しかし
その金の鳥居がある
「倭文神社」はどこにあるのかしら?
まったく無作為にただ歩いて行きます。
池の回りを反時計回りに歩いて行くと
なにやら月江寺の商店街。
こんもりした神社の鎮守の杜らしき大きな木がたくさん生えているところにたどりつく。
しかし、そこにはただのお墓と他所の御宅があるのみでした。
「う~ん。ちゃんと調べてくれば、良かったかも・・」
限られた時間の中でだんだん不安になってきました。
ついに
月江寺の駅前にでてしまった。
そこに郵便配達の男性がいました。
「あ、あの人ならわかるかも!」
「あのう、このあたりに神社はありませんか?
金の鳥居の神社なんですけど。」
郵便配達の男性は
「すみません、わかりません。
この先の交番に聞いてみたらどうでしょう?」
なあるほど!
交番ならわかるかも。
ところが行けども行けども交番がない。
途方にくれていたとき
前から駅に向って毛糸の帽子をかぶったおばさまが歩いてきた。
こういうときのchiaさんの勘ってすごいのです。
ジモティにはジモティの、ある種の勘が働くに違いない・
「すみません。このあたりで金の鳥居の神社を探しているんですが・・・」
「ううん、わからないわねえ・・・
普通の神社ならこの奥にあるけど
金の鳥居じゃなかったと思うけど」
わたしもこっちに行くけど
ついてきて、といわれたので
細い路地を入っていきました。
そうしたら・・・
「きゃ~~~!
あった~!」
もう^ほんとうにありがとうございます!
chiaさんはおばさんと手を握り合ってしまいました。
とても簡素な神社でした。
もしも目に見えない方の言葉がわかるとしたら
「ようきた、ようきた」と
おっしゃって頂いてるのだろうなあ。
こちらが何を意味しているのか・・・
なにしろすごいのです。
富士吉田は織物の町
だから機織の神さまが祀ってあっても
おかしくはないのですが・・・。
富士吉田市のHPに
こんな一文がありました。
倭文(しとり)神社
「倭文はしずおりで、
麻などの繊維を赤・青などに染めて横糸として織った古代織物です。」
このあたりにも
武田信玄の石塁があったとのことで
溶岩で復元された軍事用の「防塁」の看板あり。
また信玄さんかいな。
そう思いながら
お詣りしてそのまま直進してみると
なんと!
最初に車を止めた、月江寺の駐車場のすぐ上でした!
つまり
時計の11時の位置に車を止めて
12時の位置にこの神社があったのに
10,9,8,7・・・と
逆時計回りにぐるりとこの周辺を回って
たどりついたことになります。
「でも
月江寺の池も見れましたしね。」
そう笑うchiaさん
やっぱり只者ではないのでした。
さあ
次はさらにディープな場所に行きましょうか。