
「甲斐百八観音霊場 第二十八番
郡内三十三番観音霊場 第八番」とある。
ずいぶん「八」にご縁がある場所なのだなあ。

ここのお寺の説明書きあり。
「1226年に源氏代々の守り本尊十一面観世音を祀り」
とある。
その後十五世紀には浄土宗となるも
本尊の十一面観音は変わることはなかったようだ。
夕陽が傾いてきて
この明見の里にも日暮れがやってこようとしている。

おや?
立派な仏像が・・・

手の数を数えたら16本!
調べてみたら
千手観音さまだったようだ・
なんとwikiではこんな表記が出てきて驚く。
「十一面千手観音」
日本語では「十一面千手観音」、「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」、「千手千臂(せんぴ)観音)」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた大悲心陀羅尼 は現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道 のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。
こんな風に手足や頭がたくさんある神さまや仏さまは
インドの風土からくるヒンドゥ教の神々からきている。
お寺というものにたたずんでいると
遠く遠くの
遥かなる天竺の香りがするようだ。

板碑とは
お塔婆の元の形のようだ。
ここでchiaさんが驚く!
なんとここの元の場所は・・・
「向原」
彼女の実家のそばではないか1!
そして
大正12年の関東大震災で土砂崩れが起きて
この板碑が発見されたとのこと。
鎌倉時代の1261年に作られたものといい
県下最古のものという。
ううううんん。
このお寺はただもんじゃないぞ・・・
つづきます。