明見湖、または蓮池のことを
調べてくださいと
chiaさんにお願いしていたら・・・
こちらにも
「生贄」の言い伝えがあったようです。
(この手の話はわたしはあまり得意ではないのですが
最近よくほかのブログさんの記事にも出てきますね。)
今日、chiaさんが四つのページを教えてくれましたが
そちらの最初のお話。
明見湖の蓮花
そこには悲しい娘たちの物語があった
明見村の子供たちが七八人あつまって、草履を片方づつぬいて道ばたへ並べ一人の子供が棒の先で革掘をかぞえながら、ふし(節)をつけて次の唄をうたう。
ざうりきざうめん 二ざうめん。
仙土から普土から 朝日がわいてくる
二背戸のせどの さいの娘かぢわら
げん五郎虫かちかち
でんはた つけはた とってぬけろ ようぬけろ
と、唄が終ったときに、棒の先でついた草履の持主は、いそいでその草履をはく、
ふたたびこの唄をくりかへして、また次の子がその草履をはく、何べんもこれをくりかへして、最後にのこった草履の持主が、鬼となるのだ。
鬼になった子供は、小指の先を口にふくみ、くすり指で目をつりあげ、中指と人さし指で角(ツノ)をこしらへて、恐い顔をすると、一同がわあー----とさけんで、先をあらそって逃げてゆく、鬼があとから追いかける、といふ遊戯を行っている。
仙土は高い山、普土はひくい山、背戸は裏のことで、さいは刀鍛冶や武器をつくる者のこといい、道祖神様のことを「さい・賽」の神とも云う。
源五郎虫の「かぢわら」は虫の中でもいやな虫である。朝日のわいてくる東の麓の、「さい」の娘は何か魔性がついている。この娘が何事をかして、田や畑を荒らされるから、届けて置いた草履(ゾウリ)をとって、早く逃げて来いというような意味に解せれる。
朝日のわいてくる東の山に何があるか----この村の東の方には、海抜千五百メートルから二千メートル位の、高い山が三つ繋がっている。いづれも中腹以上は樹木のない、はだかの姿で天を摩しているのだが、未だその頂上を極めた者は居ない。人跡未踏の地でまた行く必要のない所だ。ましてこの山の後ろは、甲・駿・相三国国境の山嶽地帯で、山窩(サンカ)などが多少住んでいるかも知れないが、探検隊もあまり入り込まぬ、原始以来の魔境である。
東の山の深林地帯で、ある時一人の木樵(キコリ)が、山の奥で道に迷い、どっちへ行っても里の方へ出られず、あちらこちら歩き回って末に、すっかりくたびれてへとへとになり、岩の上へ横たわっている、大きな樹木があったので、まづ休もうと、これへ腰を掛けて、一服しょうとした瞬間、腰の下がモクモクとして、樹木がズルズルと動き出した。
「あっ----」と思った瞬間、もんどりうって前の谷間へ転がり込んだ。いやというほど尻を打ったが、何とか命は助かった。起きようとしたが、痛くて立ち上がれない、両手をついて谷底から上を見上げると、高い崖の上から物凄い形相をした怪物が、火のような息を吹いて見下ろしている。樵はあまりの恐ろしさに縮み上がり、四つん這いになって、コケツマロビツ、どこをどう転がって来たか、やっとのことで自分の家まで逃げて来た。樵は寒気がするといって、直ぐに布団に潜り込み、ブルブル震えていたが、七日七晩大熱が出て、何がなにやらさっぱりわからず、家じゅうの者も心配して寝床の周りを囲み、介抱した。その甲斐あって八日目からは口を聞けるようになった。いろいろ聞いてみると、樵は魘されながら、断片的に口を開いた。
出会った怪物は、神楽獅子のような顔で、白い髪の毛を、さか立て、角が生えている。金色の鏡のような眼でにらみつけ、口は耳までさけていて、真っ赤な舌をベロリと出しいたさうだ。この木樵はそのまゝ気を失って、足腰も立たす、口もきけなくなってしまったから、場所はどこだったか少しもわからない。
兎にかくこの山には、主が住んでいるという話は、一般には信じられている所だ。若い娘の草履を道端に並べて一夜を過ごし、その夜無くなった草履の持ち主は、生贄の籤(くじ)を引き当てて、哀れな犠牲となった。朝日のわいてくる二背戸の山の.東の山の深山の洞窟で、材人をおびえさせる恐怖の歌である。
これは建久のころ、今から七百五十年(昭和18年ころから)ばかり昔の話である。
明見湖のほとりに響き岩という岩盤がある。その岩の上へ新らしい女の草履が数足ならんでいる。赤、青、緑、樺(カバ)、紫、桃色、みんな違つた色の鼻緒がすがって、葦、茅のみだれた荒涼たる湖畔へ、あでやかな優しい情景をただよわせている。
ここへ村の者が大勢で、数人の若い娘をつれて来て、岩の前の広場へ集まり、数人の娘を前列にして、男たちはその後ろへ並んで待期の姿勢となった。男衆の中から一人の年よりが出てきて、岩の上へ並べてあった、新らしい草履をかかえて持って来て、娘た名の前へならべると、娘たちは懐から赤や青や黄色の色紙を出して、白分のもっている色紙と同じ色の鼻緒のついた、草履を履いて嬉しそうに、そして安心したような顔をして、胸をなでおろしている。
娘の中のひとり……水色の色紙をもつた娘が、白分のもった色の草履が見あたらず、他の娘のはく草履を慌てて追いまわしていたが、自分のもつている色紙の色の鼻緒の草履はなく、裸足しのまゝ水色の紙をにぎって、まん中に取り残されるや、娘はサットと顔色がかわり、ブルブルふるえて、「ワア----」とその場に泣き崩れた。
娘の父親が群衆の中から飛び出して来て、娘の体を抱き起こし、手拭いで埃と涙を拭きやり、「これ、もっともだ、もっともだ、だが我慢してくれ。何事も前世からの約束事だ。----村や村の衆のためになるのだから、我慢してお役に立ってくれろ、お前に当たったのは、名誉のことだ。何事も諦めて辛抱してくれ、心残さずお約にたってくれ、泣くな、泣くな、村のためだ、なっ、なっ、我慢しろ、頼むよ~~」
と娘をヒシと抱きしめながら涙を拭いてやる。
娘は血走った目で父親の顔を見上げ、
「とっつあま(父さん)、村の衆のためなら、わし、どこへでも行きますよ」と立派には云ったが、魘(うな)されたように、戦慄(わなな)いている。父親は懐中からお守りを出して、娘の手ににぎらせ、「こりゃあな、氏神様のお守りさまだ、これさえ体につけて居りやあ、どんな所へ行ってもおっかない事はねえだから、肌身離さずつけて居ろよ……」
となだめ励ます。娘にお守り様を見つめて、やゝ安心したような顔つきとなったので,父親は一同の人々に向かい、
「みんなの衆~、娘は得心してお役を務めますから、どうか仕度をさせてくだせ~」という。村の男衆の持ってきた箱の中から、新しい衣装を取り出すと、女たちも手伝って着物を着せ替えた。白装束に緋の袴、髪をおすべからしに結んで、娘は神前へ詣でる巫女の姿となった。
神主が榊の小枝に紙垂(シデ)をつけたお玉串を捧げて祝詞を唱えながら恭(ウヤウヤ)しく禊の祓いを済ませて、いざ出立と合図をすると、岸辺に繋いであった小船の方へ、みんなで送って、巫女姿の娘を送り出そうとした。
そこへ通りかかって、最善からの様子を終始眺めていた一人の武士、髪は巻元締めにして、武者草履の甲斐々々しい旅姿で、弓を抱えた若い武士(サムライ)が、ツカツカと寄って来て、村の者の方をたたき、「何事であるか」と尋ねた。村人達は若い武士の顔を眺めて、ためらっていたが、中で長老が出てきて、「実はこういう訳でございます」と前置きをしながら事情を詳しく話した。
(後編に続きます)