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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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縄文人はなぜピラミッドを作ったのか ?(黒又山(クロマンタ)は神々のオアシス)

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みたのくの みちのくの旅の
最後の場所のお話。
(追記あり)


雪沢温泉を朝出発し、
最終目的地の『大湯環状列石]へ向かいます。

途中、十和田湖に寄り、
(前回までのお話)

9月2日。

助手席でナビをしてるわたしは
マップの中に、とんでもないものを見つけてしまった!

『黒又山(クロマンタ山)』!!!
ええええええええ〜〜?
そんな位置関係なの???

この山の話は確か
20年以上前にハマった
『日本のピラミッド』(神学者 酒井勝軍氏のお話)に出てきたゾ!

大湯環状列石に行く道は二本あり、
わたしはその『クロマンタ山』に近い方から行く道を密かにナビした。

黒又山の山頂には神社があるらしいけど、
そこに行く時間は、無い。
何しろ、また12時間かけて富士山に帰らなくてはならないのだから。

せめてその姿を見れるかしら?


うわっ!あった〜〜!!!
停めて、停めて〜〜❣️


周りに山は無く
明らかに、突然現れる!



この目で見れただけで、感無量だ。
友人は、なんなの?だから何?
と、訝しげだ。

早く行こうよ、時間ないよ!

待って待って〜〜。
写真だけ撮る。


ここから 目と鼻の先(2キロ)のところに目的地の『大湯環状列石(ストーンサークル)』があるんだけど、
この黒又山とそことは、深い関係にあるらしいのです。

まず、その話を。

『黒又山は1992年から1994年にかけて、考古学的調査が行われた。黒又山遺跡の出土遺物には、石器や石造品、土器、土製品の基本的遺物があげられる。また、鉄釘や古銭なども出土している。特筆すべきなのは、石英安山岩からなる刻文石製品で、山頂部、斜面、山麓部から16個ほど出土している。

刻文石製品は縄文時代に小型のものが若干調査例があるが、大量に大型のものが狭い区域に集中して出土するのは、極めて特筆すべきことである。大湯環状列石という縄文時代後期初めの宗教祭祀遺跡から直線距離で2km内外にあることも考えると、この黒又山も山岳宗教祭祀の場であったと考えられる。

発掘された石は岩偶と思われる物も含まれており、最大で42×25×18cm、最小で8×4.5×4cmで、いずれも人頭大前後ばかりのもので、ちょうど人が持ち運びできる程度の重さである。刻まれた「文様」は黒又山の南西にある猿賀神社の「御神体石」に刻まれた文様と酷似している。』

(こちらよりの転載です)

(猿賀神社のご神体ってどんなんだろう、と画像を探したけど見つからなかった。そりゃそうだ、ご神体だからなあ…)


ん???
今回の旅で訪れた場所は、

白神山地=1993年 世界遺産登録!

三内丸山遺跡 =1992年 あの栗の六本柱跡発見!(1994年に特別史跡に)

黒又山=1992〜1994年、初の学術調査!

みな、同じ時期に端を発してる。
なんだろう、この符合は…


しかーし!
ウィキに書いてある記述だけでは物足らず
他の文献も調べてみると…

ありましたよ、
さずが!『ムー』!!!
最初から、ピラミッドと決めつけとる(^。^)

『そうした日本のピラミッドのなかでも、もっとも美しいピラミッドといわれるのが、秋田県鹿角市十和田大湯地区にある黒又山ピラミッドだ。「クロマンタ」山と読むが、これはアイヌ語で「。神々のオアシス」を意味する「クル・マッタ」が訛ったものだとされる。内陸にあるものの、周囲にはこれといって山がなく、独立した稜線を見せているので、ピラミッド状の美しい山容がより映えるのだ。』

ふむふむ、『クル・マッタ』
神々のオアシス〜〜❣️
(諸説あるようだけど、いずれアイヌ語で読み解けるみたい)

『この黒又山ピラミッドに、日本初の学術調査団が入ったのは、1992年のことだった。その結果、いくつかの事実が明らかになっている。

まず、レーダーによる地質学調査で、山体そのものは溶岩が盛りあがってできた自然の構造物であることが判明した。ところが斜面には、7段から10段ほどのテラス状の遺構も確認されている。このテラスは張り出し部分で幅約10メートル、高さは2~3メートルもあり、麓に近づくほど広く高くなる傾向があった。また、テラスの表面には小さな礫がびっしり貼られていることもわかっている。

ということは、かつての黒又山ピラミッドはこの礫で覆われていたことになる。現在のように樹木で覆われていない状態であれば、礫が太陽の光を反射し、この世のものとは思えない美しさで輝いていたに違いない。

一方、山頂は現在では平らに整えられており、そこに本宮神社が鎮座している。近くではメンヒル(立石)や縄文土器も発見されているから、この山頂が古代における祭祀場であった可能性はきわめて高いと考えられる。

さらに、神社の真下には巨大な岩が存在することと、頂上から少し下った場所の地下10メートルほどの地点には、南・西・北の三面を壁で囲まれた一辺10メートルほどの空洞があることもわかった。つまり、黒又山ピラミッドは、もとになる基底部分こそ自然の山だが、地下や表面に人の手が加えられているというわけだ。また、神社の地下にある巨大な岩を酒井がいう太陽石だと考えれば、過去においてはその周囲にストーンサークルが配置されていたことも十分考えられる。』


(こちらから転載です)

えええってことは?


溶岩が盛り上がった自然の山に
人がなんらかの方法で祭祀かなにかに使うため整えたの?

小さな礫がびっしりと貼られてたって?
中に空洞があるって???


そして
昔から、この辺りは発光体
最近ではUFOがたびたび目撃されているのだとか。




やはり『ムー』的だけど、
こんな本もあるそうで、



そして
こちらも引用させて下さいね。

『実は不思議なことに、この黒又山は東西南北、そして夏至と冬至の太陽のラインに沿って正確に、周囲に神社が配置されている。実際、僕もGPSで調べてみたが、高度な測量技術があったと思える正確な配置だ。

なぜこのように黒又山を神社で取り囲む必要があったのか。神社は神道、もしくは仏教の施設であり、大和朝廷以降に建築という形で建てられたものが多い。土着の古代宗教とは一線を画すものである。黒又山や環状列石が先にあり、神社は後から建てられたと考えるのが自然だ。

里山に無作為に建てられたのなら、信仰の篤い土地で片付けられるが、まるで懼れるかのごとく、周囲を正確に、しかも裏鬼門の方向にもしっかりと神社を造るのは、陰陽道の考え方だ。そこまで懼れられた黒又山とは一体何だったのか。

もうひとつ、不思議な事実がある。この土地の縄文遺跡の分布を見てみると、環状列石近くにはわずか2つ、黒又山の周囲には多くの遺跡が見つかっているのだ。つまり人々はこの黒又山を取り囲むようにして生活していた。

間違いなく、ここは普通の三角山ではなく、特別な何かがあったに違いない。』





夏至と冬至のライン!

ここで、やっとこさ
次の本命
『大湯環状列石(ストーンサークル)』につながって行くのです!

おっと
こんなのもありました!


『これまで私たちが考察してきたように、大和政権成立を遡る数百万年前の超古代に宇宙から地球上に降り立った種族が、計画的に日本を始めとする世界各地に巨石建造物を建設して、宇宙文明の移植を行っていた。1万2千年前の大洪水の時期に、彼らは一旦地球から避難するが、残された生存者たちが新しい文明の再建を開始した一万年前頃に地球に戻ってきて、農耕や建設を始めとする文明再建の指導を行った。そのために、アイヌ民族が神として祀ったオキクルカムイと共通する文明指導者の姿が世界各地の民族の神話に今も残されているのである。』


おおお!
縄文をはるかに飛び越えて
宇宙文明の発祥地まで行っちゃいますよ!

実は
縄文のことにハマればハマるほど
宇宙まで行っちゃうんだな。



前置き長いって。
今度こそ、ラストよ〜。
(ホントかな?)

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