はい、
この日3月12日のお話の
ラストになります。
この『国道1号線』は
取りも直さず
東海道をトレースしていて
だから、箱根山という難関を通るのですが
そこに存在したのが
中世の山城、
『山中城』だったのだそうです。
『後北条』て、何???
北条氏(北条政子など)はご存知でも
後北条をご存知の方は少ない思います。
わたしもそのひとり。
まったく…
知りませんでした!
調べたら
真っ先にこの家紋が出てきた。
こちらは馴染みのある
(江ノ島では何度見たことが…)
北条氏のミツウロコでしょ?
ん???
でも、なんだか違和感が…
そう、
ひしゃげてる!
江ノ島でこの紋を見たのは
2013年、3月23日でした。
5年前!
こんなことをしてたのですね。
この時は、北条氏に、驚くほど興味はなかったのですが
再び、北条氏
わたしの前に?
と、思いきや…
『伊勢氏の北条改姓
伊勢氏が北条氏に改姓したのは、二代氏綱の時とされます。初代の存命中に北条の名が使われたことはありませんが、慣例として、伊勢盛時も遡って北条早雲と呼ばれます。
伊勢氏は、室町幕府に仕えた身分の高い一族で、伊勢平氏という家格も大名として申し分ありませんでした。それでもなお北条の姓を選んだのは、かつて鎌倉時代に相模国を領有した執権北条氏と同族であることを顕示し、相模支配の正統性を主張するためだったとされます。』
なあるほど、
北条早雲とのちに呼ばれる人物は
北条を名乗ることとなり
あの、北条政子さんとは
血縁関係はないのですね。
そして
北条早雲から五代を
『後北条』とよぶそうだ。
納得です。
で、
山中城は…
ここで北条軍(後北条)は
17倍の戦力の
豊臣軍にたった半日で落城する。
こちらの記事にその模様は詳しく書かれております。
(だから、悲運の城と呼ばれるらしい)
『三島から箱根峠に登る「東海道(現在の国道1号)」の交通要所の抑えとして、標高580mの箱根山中に小田原・北条氏が築城した、小田原城の支城。東西1.7km、南北2.6km、約20haの面積を有し、西側には駿河湾と富士山を一望におさめ、伊豆にある韮山城までも眺められた堅城。』
さよう、
こちらからは富士山が…
1号線を、さらに
小田原方向に向かうと
箱根山を登ることになる。
また!
芦ノ湖だ!!!
あの駒ヶ岳と
芦ノ湖が一望だ。
このあとは
箱根の関所に
おそらく?生まれて初めて訪れた。
こういう位置関係なんだね。
東(江戸)から西(京)へ
西(京)から東(江戸)へ
東海道は、五街道のうち
最初に制定された道。
そこには、箱根山があり
人々は必ず
箱根の関所を通らなくてならない。
そうなのだ。
これは
西と東を
つなぐ旅なんだね。
この日も
箱根神社の大鳥居が
わたしたちを迎えてくれる。
なんだか
不思議な展開だ。
ハコネノオオカミよ
あなたは、
度重なる噴火を繰り返し
繰り返し
人々の生々流転を見てきたことだろう。
取ったり取られたりの
戦国の世から
平和の世へ
いま
あなたはわたしに
何を見せようというのだろうか?
西と東を
つなぐということ。
(この日のお話は
これでお終いです。)