またまた
非常用持ち出し袋には
富士山北麓から、お届けいたします。
忍野村のヘリポートから。
さて、
昨日のお話の続きです。
わたしたち人間が
生きるのに一番大切なものは…
それは、AIR 空気、つまりは酸素だそう。
酸素がないと、
3分
で、意識が朦朧とし
やがて死にいたるそう。
次に、体温を維持すること。
例えば、その日の朝、富士五湖地方の忍野村は
氷点下6度。
隣の畑が、霜で真っ白です。
こんなとき
裸で外にいたら
3時間で死にいたるそうです。
次に大切なのは、
水。
水を飲まなかったら
3日
で、死にいたるそう。
(72時間がリミット、というのは、こちらに由来するそう。24時間×3日=72時間)
“食べ物”
というのは
意外と、大丈夫だそうで
飲まず食わずでも、
体温さえ維持して、水さえ飲んでいれば
30日
(健康な大人の場合)生きていけるそうです。
酸素 3分
体温 3時間
水 3日
食べ物 30日
これが、
『3の法則』
(こちらは、フリーダイバー、ジャック マイヨールや、何年も食べ物を口にしていない“不食の人”など、例外は多々あるけど、あくまでも一般的な人々の数字となります。)
とにかく、
『3日、生き延びる!』
が
この講座の着地点です。
まずは、体温維持。
モデルとなってくれた参加者さんに、100円のビニールカッパを着てもらい
丸めた新聞紙をカッパの中に詰めている図です。
ダウンジャケットもなにもないとき
なにしろ、空気の層をつくること。
外気と身体を空気の層で遮断すること。
アウトドアであれば
山の斜面の風の当たらないところで
落ち葉を布団がわりに
なにしろ一晩過ごす。
ファッションもなにもあったもんじゃない!
しかし、生きのびるということは
そういうことなのかも。
次に、水ですね。
表を流れている、ヤーナ川の水をペットボトルに汲んできて
これを『飲める水』にするには?
ペットボトルや、スーパーのポリ袋でもバケツがわりになります。
これをタオルでゴミをこす。
さらに、
飲み水にする殺菌の薬剤色々
一番いいのは“煮沸”
これには火を使うんだけど
火をつけるのは後回しで。
うがい薬の“イソジン”を8滴!
これは、ヨードによる殺菌だそう。
さらには、塩素による殺菌の粉末なども。
泥水でもなんでも
工夫すれば飲み水に変わります。
これで、3日は生きられるのでしたね。
さらに
暖をとる、
水を煮沸するのに必要な
『火起こし』の話。
100円ショップのライターや
マッチがあれば良いんだけど
ライターは、オイルが無くなればつかないし
マッチは濡れたらアウト!
メタルマッチ(ファイアースターター)という現代版“火打ち石”と
ティッシュとリップクリームという女子ならバックの中に必ず入ってるアイテムで
火を起こします。
お昼になりましたので
食事の話に移ります。
30日食べなくても平気だよ、
といっても
小さいお子さまがいる家族などでは、そうも行かない。
暖かい火のそばで温かいものを食べれば
体温も上がるし、心も満たされます。
こんなのがオススメ、というお話と
実際に調理してみる!
意外と美味しい!
ホットケーキミックスと水とジップアップ袋で
パンつくり。
なるほど。
このあとは、タープなどを張るための
ロープワークのお勉強などをして
イベントは無事、終了しました。
この『サバイブ!』の講座のお手伝いをして
わたしは大きな気づきをいただいたと思います。
人は、ほんとうに生かされているのだ、
ということ。
朝、太陽が昇り
木々が光合成をして酸素を作り出し
雲が湧き、雨を降らせて
万物を生かす。
この大地のうえで
生きとし生きるものが
すべからく、生かされていて
わたしたち人も
その仲間たちなのだ、ということ。
やっぱり
ひふみ、火風水の循環の中
巨大な火の球 太陽のエネルギー、
緑なす植物が作り出す AIR 大気に包まれて
水の球 地の球であるわたしたちの惑星。
東日本大震災が起きて
あれだけ日本人は気づきをもらったのに
また、忘れてる。
感謝すること。
屋根があって、
暖かい布団があって、
キレイな水が飲めて、
食べ物が手に入ること。
そのようなことが
また、当たり前だと思ってしまう。
感謝を忘れてる。
こちらの御師のいえの
自然の木の目を活かした壁に
わたしたちが忘れてはいけないこと、
太陽が昇ること、
この惑星に酸素が満ちていること、
水が空から山から
もたらされること、
大地が食べ物を提供してくれること。
わたしたち、すべての生き物が
なにものかに、生かされていること。
帰り道
富士山の西に
太陽が沈み…
この夜は
今シーズンの最低気温を記録しました。
明け方、
何度か、目が覚めたけど
その度に
温かい布団の中にいること、
その幸せを感じました。
朝になれば
太陽が昇ること
そんなことも
感謝
感謝
感謝…
やっと昔の人みたいに
なれたのかも、と思いました。
機会を与えてくださって
ありがとうございました。