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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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“T”のトビラ その十 『九十九(TUKUMO)島と 八十八潟』

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8月21日から22日の新月さんにかけて
Kちゃんがとってくれたお宿は
(おそらく彼女は無意識に…)
なんともすごい場所にあったのです。

象潟(きさかた)という
今回初めてその名を聞いた
にかほ市の
ネムの丘にほど近い、温泉宿…。

『象潟』の名を初めて聞いたのは
秋田へ向かう車の中でした。
まさか、そこに宿泊することになろうとは…。

『東北はいいですよね〜
みちのく、っていいますね。
奥の細道、とか。
松尾芭蕉…』
何気なくわたしが行ったひとことで
秋田出身のわたしの隣のお母さまが…。

『松尾芭蕉でしたら、
象潟ってご存知ですか?』

わたしは全く知らず、
え?

それが、この芭蕉の有名な句…。


【象潟や雨に西施がねぶの花】
(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)

↓現代語訳
雨に濡れる象潟のネムノキの花を見ていると、
世に言う西施の美しさとはきっとこのようなものだったのかと思えてくる。

「象潟(きさかた)」は秋田県の南側日本海沿いの地名で、
今は違いますが、昔は海に浮ぶ島々の絶景地でした。

わたしがお母さまの話で興味が湧いたのは
松尾芭蕉の話ではなく
そこが、地震で隆起した、という話でした。

え、
地震???
何時代のどんな地震だったんですか?

お母さまはそこまでご存知なくて
わたしは早速スマホで検索…。


すると、
もっとすごい土地であると判明!

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松尾芭蕉が『奥の細道』にて訪れたころの象潟は
九十九島と言われるたくさんの島々の景勝地だった。

それは、なんと
鳥海山の噴火によって、出来たの!


紀元前466年鳥海山が噴火し、発生した大規模な山体崩壊による流れ山日本海に流れ込み、浅い海と多くの小さな島々ができあがった。やがて堆積作用の結果、浅海は砂丘によって仕切られて潟湖ができた。そして小さな島々には松が生い茂り、風光明媚な象潟の地形ができあがった。東西の長さは20(約2200m)、南北の長さは30町(約3300m)をそれぞれ超える程度であった。

江戸時代までは、九十九島・八十八潟が景勝地となり、「東の松島 西の象潟」と呼ばれ、松尾芭蕉の『奥の細道』(1689年)でも

松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し

と評された。』


しかし…こんどは江戸時代の地震によって

現在は、このような風景。

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(画像をお借りしました。正面が鳥海山。)

『しかし文化元年(1804年)の象潟地震で海底が隆起し、陸地化した。その後、本荘藩の干拓事業による水田開発に飲まれ、歴史的な景勝地は消されようとしていたが、当時の蚶満寺の住職・二十四世全栄覚林の命懸けの呼びかけによって保存運動が高まり、今日に見られる景勝地の姿となった。』

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(中央下が鳥海山。
象潟は、左上の突きでた薄いグリーンのところ)


そんな
象潟の只中に
ネムの丘という道の駅あり。
そのほど近い温泉宿で
ネムの名を冠した宿が
この日の宿泊地!

おおお!
それだけでもすごいことだったのだけど

さらには…
蚶満寺(かんまんじ)というお寺が
なんと、曰く付きらしいのです。


蚶満寺、すぐ近くだよ。よってみる?』

朝、
いよいよ鳥海山へ出発、というとき
Kちゃんが、何気に提案を。

すぐ近くなら、
よってみたい!

そこはなんと
わたしがいままであまりご縁のなかった
『神功皇后』に由来するお寺さんで…。

神功皇后といえば、北九州にご縁のあった方だったような…
だけど、前日にお詣りした『唐松神社さん』は
神功皇后の『腹帯』が御神体である、と。

なぜ?秋田に???

じつは、この出羽國 羽後の国に
とてもご縁の深いかただったらしいのでした。

続きます。




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