少し間が空いてしまったけど、
(右下の緑色の部分は、愛鷹山)
やまかいの四季『宝永の噴火は例外か』
宝永第一火口に散在する大きな石は、
相次いで(たった4年を経て)発生した、二つの巨大地震のあと、
ほかの火山にも言えることだけど、
富士山が、最後の噴火をした
300年前の話を書いておきたいと思います。
(右下の緑色の部分は、愛鷹山)
この時に出来た巨大な噴火口
『宝永火口』
と、
富士山の山頂火口と、
平安時代の青木ヶ原溶岩流の火口列、
そして、
最大の側火山、大室山の火口が
一直線に並ぶ、という話、
たしか、一昨年も書いていましたが。
このおやまは、一度噴火をすると、
とてつもなく大規模な噴火をするのですが、
それにしても、この宝永の大噴火は
あらゆる意味で、突出しています。
やまかいの四季『宝永の噴火は例外か』
『この時の噴火は,高温で流動性の高い玄武岩質の溶岩を流し出したり,黒色のスコリアを噴出する等の活動が多い富士山の活動の中では極めて特異なもので,噴火の初期には,粘りけの強いデサイト質のマグマに由来する,白い色をした火山灰や軽石を噴出した。また,多量の火山灰やスコリアが噴出し,東麓の須走村は数mの焼け砂(スコリア)で埋め尽くされ,100kmも離れている江戸の街にも,数cmの火山灰が降り積もるなど,極めて広い範囲に甚大な被害をもたらした。
宝永噴火が起きた4年前の元禄16年(1703年)11月には,マグニチュード8.2の巨大地震(元禄関東地震)が起き,関東一円に大きな被害をもたらした。この時も富士山周辺では噴火の前兆となる火山性の地震が頻発しており,マグマが地下のマグマ溜まりから地表に向かって上昇してきたが,この時はマグマの上昇が途中で止まり,噴火には至らなかった。この時のマグマが冷え,組成が変化してこのような噴火を起こしたとも考えられるが,富士山の10万年にも及ぶ活動の歴史の中には,宝永噴火のような爆発的な噴火も何度も起こっている。富士山は穏やかな活動をする穏やかな山という固定概念を持つと,ひどいしっぺ返しを受けることを宝永噴火は教えている。』
宝永第一火口に散在する大きな石は、
大規模地震を起こしたのは
やはり、
その前に起きた、二つの大地震と関連があると思われます。
宝永地震=南海トラフ巨大地震
相次いで(たった4年を経て)発生した、二つの巨大地震のあと、
49日後に
富士山大爆発‼
こと、富士山は
やはり、プレート型地震と深い関係があるようです。
だけど、
この図を再び見ると、
富士山が要となって
抑えてくれているようにも見えます。
そうなのかなあ?
そうとしか、思えないんだけど。
相変わらず
穏やかなおやまです。
『最後の噴火』というタイトルは
現実になるのかもしれない、
何気なく付けたタイトルなのに
今日はそう思います。