夏至を過ぎて
太陽はますます
輝きを増しているのですが
わたしにとって、夏至とは
やはり特別な日であること
思い出したのは
『夏至の祈り』で検索したときに
2004年に『W.P.P.D』でお会いすることになった
北山耕平さんの、それがきっかけでかくことになったという
こちらのブログ『ネイティブ ハート』に行き当たったからでした。
『夏至の日が終わり、太陽は新たに黄道を辿る旅をはじめた。作物が順調に育っているのを確認して、精霊たちは無事に山の家に帰られただろうか?
ぼくがこのブログをはじめたのは2004年の夏至の日に富士山の西の朝霧高原において「せかいへいわといのりの日(WPPD)」の集いと儀式がおこなわれることが決定し、WPPDの提唱者がネイティブ・アメリカンのラコタ(スー)の精神的指導者の一人であり、一族に伝統的に伝わる聖なるパイプの守護者だったことから、自分も呼びかけ人の一人に名を連ねたことが直接のきっかけだった。』
そして、
こちらのブログは、こんな言葉で閉められていました。
『このブログは、日本列島のスピリットの声に耳を傾ける新しい人たちの集合点(呼び集め、再結集させる場)として、今後も機能し続けるだろう。そしてぼくは富士の山の声に耳を傾け続ける。一切の聖なるものが失われた日本列島にスピリットが帰ってくるのなら、それはまず真っ先にこの聖なる山においてであることは想像に難くないからだ。鏡のように世界を写し出している聖なる山・富士山の周りを新しい意識で巡り、祈りを積み上げていく巡礼たちの旅は、まだはじまったばかりなのだ。』
そうなのだなあ、
わたしがなぜ?
縁もゆかりも無い
この富士山の地に根を下ろしたのか、
あの日
妙に納得をしたのでした。
一切の聖なるものが失われた日本列島にスピリットが帰ってくるのなら、それはまず真っ先にこの聖なる山においてであること
あの時
世界の四方向から
選ばれし者たちが富士山にやってきて
聖なる輪をつなぎ直したのでしょう。
あれから13年たち
13という数字は
やはり特別な数字で
13年たった夏至の日には
何かか再びつながり
動いたのだ、
そう、わたしには思えてなりません。
大地と太陽に捧げるダンスを踊る。
「サン・ダンス」とは、スー語の「ウィワンヤンク・ワチピ(太陽を見つめる踊り)」を英訳したものである。
平原の部族は、死ねば無条件で「狩猟の楽園」へ行くことができ、このため、今世は楽しみごとに費やすべきだと考えた。ただ、「大自然の力は放置すると衰退する」としてスー族やブラックフット族、シャイアン族、カイオワ族など平原部族の多くは、毎年夏至の頃に、大自然の回復と部族の繁栄を祈祷し、誓いを立てて大精霊に祈りを捧げるこのサン・ダンスの儀式を行う。』
その儀式には
この『サンダンス ツリー』を立て
カラフルなてるてる坊主のようなものを下げるのだといいます。
うむむ…
どうみても、てるてる坊主だなあ。
忍野村の道祖神祭りに似てる!
「サンダンス」は、インディアンの神聖な7つの儀式の中で、最も神聖なものとされています。この儀式は、4日間飲食なしで太陽の出ている間、生命の木と呼ばれる「サンダンスツリー」を中心に「ワカンタンカ(創造主)」に感謝と祈りをあげなら踊り続け、最終日の儀式の終わりに長老がサンダンサーの胸か肩にメスを入れ、そこに木の棒を突き刺しピアッシングして、その棒とサンダンスツリーをロープでつなぎ、自らの力で自分の皮を引きちぎるとサンダンスツリーを通してワカンタンカに伝えられた祈りが成就するという過酷な儀式です。
神聖な「サンダンスツリー」には、「タバコタイ」というカラフルなてるてる坊主がたくさんぶら下げられます。これらの「タバコタイ」にはタバコの葉と祈りが込められています。
インディアンにとってタバコは嗜好品ではなく、ワカンタンカに祈りを捧げる時や、何か大地から頂いた時などに、母なる大地にお返しする「メディスン」と呼ばれるとても神聖なものなのです。
そういえば
あの時
(W.P.P.Dから一年のちのグリーンキャンプ場で)
北山耕平さんは
わたしたち、富士山の山麓に住んでいるものに、
『富士山をメディスンホイールにしなさい』
そんな意味のことを云われた。
その約束を
わたしたちは、果たすことが出来たのか?
天地境で天地を繋ぐ
うむむ
まだまだ…
丸13年の夏至過ぎて
そのことを昨日のことのように
思い出しました。
0623
明日は新月です。