こちらの続きになります。
鳴沢口留番所あとから
少々戻ると
あれ?
あれれ?
むむむ…
手に持っていた
くだんの『鳴沢村の石像物』の画像で
確認してみると…
こちらの道祖神の台座には
菊水紋、
と
鳳凰が刻まれている、と。
もっと深く掘って
苔を剥がせば
はっきり出て来るのだろうか?
これは、
収穫であった。
ナニユエに
魔王の山へ行く山道の道祖神に
『菊水紋』と『鳳凰』???
ここもまた、
南朝となんらかの関係が見出せるのだろうか?
流れ菊水紋に行き当たったのは
今年の3月のことでした。
千種姫物語その一『七百年越しの願い』
このあと
山中湖の南朝史跡と
『長慶天皇』にぶち当たってしまったわたしは
(チョーケー天皇!お懐かしや〜‼)
調べていたら
『南部煎餅 長慶天皇説』に興味がわいた。
なんと
南部煎餅の裏には
流れ菊水紋が描かれている、という話。
『南部せんべいの裏に刻印されている模様、これが何だか気になったことはありませんか?
この模様は「菊水と三階松」と呼ばれるもの。南北朝時代に長慶天皇が八戸地方で食事に困っていた際に、家臣の赤松氏が自身の兜でせんべいを焼き上げ、献上したところ、天皇は感激し「楠木正成※に匹敵する忠節」だとして、せんべいの焼き型に楠木氏の家紋「菊水」と、赤松氏の家紋「三階松」の使用を許した、と言われています。
※楠木正成(くすのきまさしげ)…鎌倉時代・南北朝時代の武将で、鎌倉幕府を打倒し、南朝に忠節を尽くしたことで知られています。』
南部煎餅とは
東北の八戸の
名物『南部煎餅』が
長慶天皇、赤松氏、楠木正成
すべてのキーワードが出て来てしまうとは…。
そして
実際の、流れ菊水紋よりも
この時に、鳴沢村の双体道祖神の台座に刻まれていたのは
この
南部煎餅の菊水紋に
非常に似通っていたのです‼
うむむむむ…
謎が謎を呼ぶ。
しかし
鳴沢村に秘められた謎は
これだけではなかったのです。