6月は
夜半の雨で、
月が開けた。
梅雨と重なるこの月を
なぜ“水無月”と呼ぶのかというと
今日、6月1日は、グレゴリウス歴(新暦)なわけで、
明治以前の陰暦では
水無月は
今年は7月23日から8月21日までの28日間。
まさに、太陽ギラギラの
雨乞いでもしたくなるほどの“水無月”そのものだ。
まったく、陰暦で考えると
卯の花の咲く卯月も
皐月咲く皐月も
ピッタリと会うので
昔の人の季節感とネーミングのセンスに感服してしまう。
さて
今日も、樹海のガイドにて
西湖の某所で待機していたとき
別のツアーで同じく待機していた
Tさんに会った。
先日、『ハルナ探検隊』でお世話になったガイドのお仲間さん。
『先日はありがとうございます!楽しかった〜。』
まずはお礼。
『がっかりしなかった? あんな小さい池で』
『いやいや、とんでもない。あんなところから湧き水があるなんて、感動しましたよ。』
そのから、ガイド仲間が八人もたまたま集まっていたので
喧々轟々と、
“雨乞い”の話に。
『俺っちかガキの頃あ〜』
と、地元のおじさんたちの生きたお話が聞けるものだから
けっこう楽しい時間。
すると、
たーさんが
『うちの神社じゃ〜』
と、始まった。
えええ?
なになになに?
たーさんは、勝山という地区にある
御室浅間神社の氏子総代なのだ。
御室浅間神社の雨乞い、といえば
あれよね、アレアレ
この話は去年の七月
富士山二合目の御室浅間神社の前で
トラ&ちひろに出会ったことで
めちゃくちゃ、盛り上がったんだ。
ありゃありゃ〜
こんなタイトルだったのね〜。
ここに出てくる
ちひろが言った
『首に縄をつけられた龍がここに封印されているんだ。』
という言葉…
改めて読むと、その感知力、すごい‼
今日、その謎が解ける???
たーさんの話は、こうです。
『その雨乞いに使う龍は
さらし木綿でぐるぐる巻きにしてある。
巻き方があって
それで、龍の形になるようにするんだ。
お前も覚えとけ、と云われた。
さらし木綿も先端で龍の髭を作るんだ。
それで、そのまま、宝物殿にいれてある。
雨乞いの時は
縄をつけて河口湖に投げ入れるんだ。』
ええええ〜
もともとは、二合目の御室浅間神社の
欄干を飾っていた木彫りだった話は
この記事にも書いてあるし、
富士河口湖町の広報にも
『古への小径』という連載があって
写真が出ていたように思う。
『今年は空梅雨らしいから、久しぶりにやれ、と宮司に言ってるんだ。』
ええええ!
やって、やって!
見たい〜‼
たーさんは、苦笑した。
そんなものを見たいという好きものは、
わたしぐらいなものだろう。
『雨乞いなんてもんは、村のマツリみたいなもんだ。』と
西湖の長老のワタナベさん。
ふーん。
子供のころは、
鉦や太鼓を叩きながら
大人に混じって
雨乞いの歌を歌ったらしい。
この辺りでは
ひな祭りも
端午の節句も
ひと月遅れで行うのだ。
水無月の祈りは
雨乞いの祈りだ。
龍神さまにお願いをするのも
ごくごく、自然なことだったのだろう。
『苦しい時の神頼み』
は
比喩でもなんでもなくて
神や仏や
龍神や天狗やお狐さんは
当たり前のように、身近な存在だったのだろう。
そういえばさ、
ワタナベさんは
足和田山のことをなんて呼んでた?
『段ノ山だなあ』
やっぱりそうなんだ。
鳴沢村も、大嵐も
西湖もやっぱり“段ノ山(壇ノ山)っていうんだね。
今は足和田山か正式な名称になったけど、
足和田山と呼んでいたのは、長浜村だけみたいよ。
かぐや姫伝説と関係があるみたいだよ。
『足和田山になったのは、長浜村と西湖が合併して足和田村になってからじゃねえか?』
わたしが五湖台で世界遺産センターの堀内マコトさんから聞いた
『かぐや姫伝説』の話に
おじさんたちは誰一人感心を示さなかったけど…
わたしはひとりででも
『足和田山=段ノ山』の謎を解きたいと
密かに思っていた。