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星曼荼羅とは… 『宇宙湖 (うつのみ)綺談 ④ 海雲山寿徳寺

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そうそう、

この話を書かなくっては。

4月29日が
昭和天皇の誕生日とも気がつかずに
なぜかしら
98代長慶天皇の痕跡を回らされたこの日

ルカちゃんのお店に行く前に

山中湖の唯一のお寺
『海雲山寿徳寺』に
初めて立ち寄ってみたのでした。


例の
『山中湖村の史話と伝説』には
やはり、このお寺が南朝との関係がある、という伝説に触れられていたので
やはり、気になったのです。

だけど…

調べれば、調べるほど
なんだか、すごい符合に気がついちゃった!

ここには
『星曼荼羅』あり。

星曼荼羅って
なに???

調べたら

円形星曼荼羅と

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長方形星曼荼羅
なるものがあるらしい。


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この、
山中湖村の“寿徳寺”にあるのは

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こちら
長方形の星曼荼羅であるらしい。


そもそも
星曼荼羅ってなんなのかしら?


その前に
山中湖村のただ一つのお寺
『海雲山寿徳寺』って
どんなお寺さんなのだろう。


『弘法大師が建てた草庵が起源といわれています。開山は文応元年(1260年)とされます。武田信玄が祈願所に定めました。境内には歌劇「蝶々夫人」の主役で有名なオペラ歌手 三浦環の墓所があります。本尊は地蔵菩薩。』



そうなんです。
本尊は地蔵菩薩!

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なんの前知識もなかったわたしは
この本尊に驚きました。

そして
六地蔵もあったらしいのだけど
この日は気がつかなかったのでした。

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(画像はお借りしました)

うーむ
今年はお地蔵さまに
なんとご縁があることよ‼



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この日(4月29日)は
山中湖の桜は見頃。
鐘楼のそばの枝垂れ桜。



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境内の桜も満開に。


星曼荼羅が気になりますね。

こんな記述あり。


『紙本著色星曼荼羅
しほんちゃくしょくほしまんだら / 昭和62年1月21日 / 山中湖村平野 / 寿徳寺

古代インドおよび中国では、人や世間の吉凶禍福は星辰の作用であるとされた。そのため星を祭る「星供」の本尊として掛けられた。方形四重式の構成をなし、総計70躯の尊体を配置する』

{1950D81E-30BE-47BD-AFEC-0174B93AE9ED:01}
(山中湖村の史話と伝説』の扉にも、載っておりました!)

また、こんな記述もありました。

(じゅとくじのしほんちゃくしょくほしまんだら)

[山梨県有形文化財 絵画 山中湖村平野147 寿徳寺 昭62.1.21]

 北斗曼荼羅とも呼ばれ、古来星供(ほしぐ)といい当年星・本命星などの災厄をおそれ除災、延命を目的として星を祭る「北斗法」の本尊である。その形式に方・円の2種がある。
 山中湖村寿徳寺の現蔵する星曼荼羅は紙本、掛幅装で、本紙は縦112センチ、横87センチ。面画の構成は方形4重式で内院と第三院をあい色、第二院と外院はうぐいす色に着彩され、各院とも塗り残された月輪中に総計70体の尊体が配されたものである。

 内院の中央須弥山上巨大な月輪内の頂輪王を七星が囲み、それらの下方白群色の月輪内に仏眼がみられる。第二院は九曜及四大明王の13体、第三院は十二宮、外院には二十八宿ほか五尊を配する。

 
弘法大師、
北斗七星…。

否が応でも、あの“観心寺”を思い浮かべてしまいます。

観心寺とは

北斗七星の塚、
楠木正成の首塚、
後村上天皇の御陵…があると言われる…

うわっ!
寿徳寺を訪れたのが
4月29日
観心寺の話を聞いたのが
3月29日‼



実はね、
ここの寿徳寺を調べていた時に
またまた
南朝由来の様々な伝承にたどり着いてしまったのです。


昨日アップした
“御所”の場所は
山中湖村山中に存在するのですが

この、寿徳寺は
平野という地区にあり

平野の『金平尾根』というところに
楠木正成の子、楠正義の築いた城址の跡が発掘されたのだといいます。


『楠正義は、長慶天皇にしたがって山中の地に来て、この平野の要所に隠城を築き法皇を守護し、幾年もたたずしてこの地で逝去したものといわれている。』


マジですかあ?

『楠正義』で調べると
その人物は、楠木正成の子で
南朝とともに活躍していたが
富士山北麓の山中湖に滞在したという記述は見つかりませんでした。

不思議だな。

ずっと感じていたんだけど

富士王朝のときと一緒で
伝説というものの中には
真実と虚構が散りばめられ、
まぶされており

どちらが真実で
どちらが虚構なのか
決めつけることができないのではないかしら?

何故ならば
パラレルワールドの観念でそれを見れば
すべてが真実。


南朝(吉野宮)は
あそこにも、ここにも存在していたと思うし…
それよりも重要なことには


なぜ?
今???

このことが浮上するのだろうか、
ということに尽きるのだと思います。


星曼荼羅は

両者(大阪府河内長野市)と
南都留群山中湖村)をつなぐ橋。


そう思うと
なんとも、不思議な気がいたします。



























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