“タカムラ”一族に関しては
なんだか、スゴイことに気がついちゃったのだけど…
後醍醐天皇のことを
先に書くことにいたします。
昨日は、墓参りの際に
姉と
後醍醐天皇の話になったのだけど
姉はわたしと同じく
『ゴダイゴといえば、ガンダーラだよねえ』
と、世代的にも感覚的にも
わたしと同じ反応をしたのです。
だよねえ…
それはさておき、
何故?
いま?
後醍醐天皇???
大塔宮護良親王の父君
ということもあると思いますが、
ここのところ
繰り返し出てくる
『南朝』
『後醍醐天皇』
今日も
『山中湖 寿徳寺』で検索してたのに
出てきてしまった後醍醐天皇!
もうね、これは観念して
きちんと調べて見ることに致しました。
すると…
『後醍醐天皇が生まれたのは、鎌倉時代末期の1288年。当時天皇家は、兄弟二つの血筋が対立していました。 持明院統と大覚寺統です。 そのため、この両統が交互に皇位を継承するという取り決めがなされました。』
んんん?
非常に重要と思われる語句が出てきましたよ!
『兄弟二つの血筋』
『1301年、天皇位が持明院統から大覚寺統に移り、後醍醐天皇の兄 後二条天皇が即位しました。 後醍醐は、後宇多天皇の第二であったため、もともと皇位継承権はありませんでした。 しかし、兄の後二条天皇が若くして亡くなってしまいます。天皇位は持明院統に移りました。 大覚寺統では、次の天皇を誰にするのか、候補者を指名することになりました。 その時、歴史の歯車が狂い始めます。』
持明院統と大覚寺統、
ふむふむ…。
第二皇子だったために
皇位継承権はなかった!
ううむ
なんだか
なんだか
今の皇室に極似してませんか?
第一皇子が継ぐのが正当、
でも???
「 後二条天皇というのが比較的早く亡くなります。早く亡くなった結果として皇太子を誰にするのか、ということになったわけです。 早く亡くなった後二条天皇の息子、それとも後醍醐を皇太子に立てるか、 そのようなことを巡ってそれぞれの思惑はあったんですが、 後宇多天皇は、後二条天皇の子どもがある程度大きくなった時に皇太子に立てるが、つなぎの意味で、一代限りの条件で後醍醐に天皇をさせるわけです。 」
後醍醐天皇は
現代で当てはめると…
秋篠宮?
なんだか、すごく似てます。
『後醍醐が天皇に即位したのは、1318年。31歳の天皇は、当時としては異例の高齢でした。つなぎとして指名された後醍醐天皇でしたが、しばらくすると、後宇多上皇から権力を譲り受け自ら積極的に政務を行い始めます。』
兄弟筋で
交代で天皇を行っていたのに
後醍醐天皇は
自分の息子を天皇にしたくなった。
そのあたりには
女性の影がチラホラ…
一回ではどうも
終わりませんので
続きます。