突然…
『赤松一族の霊が全てあがることが出来る』
と、云われても
どうしてよいのかわからなかった
というYさんの証言のお話を続けます。
『今日、NとR子(わたしの名前です)が出会うことによって、赤松一族の霊が全てあがることができる。 赤松 則村 』
初めてNさんと会ってから赤松則村を調べたら、赤松円心が赤松則村なんだということがわかりました。武士から仏門にはいって円心と名乗るようになったようで、それまでは、赤松則村だったようです。
わたしは、学校の歴史の勉強で赤松円心という名前をみつけていて知ってたので、ビックリしました。
赤松円心が、わたしとNさんを出会わせた?赤松の全ての霊をあげてもらうために‥‥?
赤松いっぱいいてるのに、なんでわたしなん?確かに霊障だらけのわたしの体でした
が、わたしじゃなくても、いっぱい赤松さんっておるやん😱って思ったのを覚えてます。
Nさんに連絡したら、そうやったか〜
赤松きたなぁって笑ってました。
赤松は、あんたやってんねって感じで話されてました。
吉川の町役場の話に戻りますが、
担当のかたは、赤松円心の事もすごくよく調べてて、白旗城もすぐ教えてくれました。
城は、なくなり今は、城跡になってる事も教えてくれました。
中国自動車道の佐用で降りて、上郡というとろに行くといいんじない?ってたくさんの資料を頂いて、色々おしえてもらいました。
佐用インター目指しました。
吉川の町役場で赤松円心、赤松一族のことを調べてます。余談ですが、夢で腹帯のような白い布が押入れの天井から出てて引っ張っても引っ張ってもドンドンでてくるのをみて‥‥という話をしたら白い布?って赤松は、白旗城をつくってるんですよ。今は城跡しかないですが、、、と説明してくれて、最近の研究会議で赤松のことを発表したばかりだと話してくれました。
佐用インター降りて、少し走ると、赤松だらけ、何ここ⁉️ってビックリしました。
赤松小学校もありました。
とにかくここでは、
赤松円心、赤松一族のことを知らない人は、いないんじゃないかと思うぐらいに普通に、赤松がありました。
山に、赤松円心ゆかりの地、と大きな看板がありました。
とにかく白旗山という山に白旗城跡があるという存在を吉川で知ったので白旗山をめざしました。
地図に指し示してあるところに着いたら、白旗城跡の案内の看板があり白旗城跡に行くには、山を登らないと行けないんだということを知りました。
Oさんに車で行ける所まで連れて行ってもらい、Oさんには車で待ってもらい、わたし1人で行くことにしました。
その日は、天気も良くてまだ、お昼過ぎた所で十分明るかったのですが車から降りた瞬間、なんだか気味が悪く、うす暗〜い感じで
とにかく不気味な感じの所でした。
わたしは、行ける所まで行こうと思って、ひとり山に入っていきました。少し歩くと小さな広場みたいな所があって、そこから先は、本当に山!木々が生い茂り山道が続くようだったので、これは時間がかかる、ひとりで行けない‥‥怖いわと思いました‥‥
白旗城跡と書いてある小さな道案内板が突きささってたので、その案内板が指し示す方向に向かって少しの時間ですか、立ってました。
もう、いいやろ、いいな!と自分にOKをだして、もう怖いし、なんか早く立ち去りたいし‥‥となってたので車に戻りました。
車に戻ったら、Oさんは大丈夫かなとすごく心配してくれてました。
とにかく気持ち悪いところやったから、
早よ立ち去ろうって車を走らせました。
少し走ってたら、なんかわからないけどお寺が見えて、わたしがあそこ行ってみよう!と言って見えてたお寺に行きました。
お寺に入ると住職さんが、でてこられたので挨拶をしました。ここに来た理由を話しました。赤松という先祖のことを知りたくて‥‥という話から今日、ここまでたどり着いた不思議な話もしました。
住職さんは、訪れた人が記帳するノートを持ってこられて名前と住所を書いてくださいと言われました。わたしが書いた住所をみて、あれ、先日も尼崎から男性の方だったですが、赤松のルーツを調べたくてといって来られましたよ。あっ、この方‥‥といってその人が書いたところを見せてくれました。
住職さんは、わたしにお知り合いの人ですか?聞かれましたが、わたしは全く知らない名前の人だったので、知りません。知らない人ですね、と答えました。住所をみて、ビックリしましたが、当時住んでた所と近くて年齢も書いてて、歳も近い人が同じような時期に同じようなことで、ここに来たんだ〜って思いました。
住職さんは、お寺ができた経緯やら色々とお話してくれて、本堂や赤松三尊像といわれる像をみせてくれました。上郡の役場に行けば赤松に関わる色々なものがみられると教えてくれたので、役場に行くことにしました。
役場に行き、赤松円心推しの町だけあり、誰でも自由に見学できるスペースがあって、
さぁーっと見学させて貰って帰りました。
上郡役場を出てから、Nさんに電話をしました。今日の一連の話をしました。白旗城跡の入り口まで行って、そこで少しの時間いてたけど、怖くて退散したこと、お寺に行って赤松三尊像を見たことを話しました。
わたしが気になってた白旗城跡の入り口までしか行けなかったことについては、いいよ〜それでいいって言ってくれて、
赤松ちゃんは、その今日見た千種姫(覚安尼)から七代生まれ変わりの人やねって教えてくれました。
(兵庫県 赤穂郡 上郡町の千種姫(覚安尼)の木像)
七代生まれ変わり?
どういうことですか?って聞いたら
『七回生まれ変わってるんや、
千種姫から次、町娘に生まれ変わったかもしれん、女郎屋に売られた人に生まれ変わったかもしれん、なんせ千種姫の魂から色んな人生がつけくわえられるというか、それを持って次に次にと生まれ変わってきたんやね
この世に生まれるってことは、魂のくもってる部分を光らすために生まれるんや、そのくもりをとることは生きてる間にしかできない。
いっぱいきすぎた服を一枚一枚脱いでいくかんじかな?その魂、その人にいらんものが、本来必要ないものがついてしまってそれを脱ぎたくて、とりたくて生まれるんやけど、なかなかなぁ〜
そして脱いだらというか、くもりがとれたら新たに光る、光りだすやろそれがその魂の新しい部分になるんやろなぁ
まず、くもりをとること、きすぎた服を脱ぐこと、そこをしないと
次はない、
出してから入れる❗️で
入れてから出す❗️の順番じゃないんやね。』
というようなことを話してくれたと思います。
生きてる間に、どれだけ魂のくもりを磨き、取り去ることができるか‥‥わたしは今現在、今日もこうして、生きてるけど果たして‥‥?って感じです(笑)
人は死ぬ時に死んだ時に全てわかるって仰ってました。
死んでしまった人に何がわかったか?って生きてる人は聞くことができないから、死んだらわかるっていわれても何がわかるんじゃい、何を言うとるんの?になるんやけどね〜って笑って話されてました。
わたしは、この先これから赤松のこと、どうしたらいいのですか?
ってNさんに聞いたら、何もしなくていいよ。赤松ちゃんは生きてるだけでいいんや。
みんなそうやで、生きる、生きてるってことが大事なんや、死んだら終わりやからな
生きれる間は、生きてなあかんねん。
生きてる間でしか、魂磨きできないからかなってわたしは思いました。自分が生きてる間にどれだけのくもり部分を拭い去り、新たに光らすことができるのかわからないけど、
次に受け継がれる時にくもってる部分は、あと少しで蘇られるように、そしてくもってる部分がなるべく少なくなってるようになりたいなぁ、きすぎてる服は一枚でも多く脱ぎ捨てておきたい。
こちらが
すべて話してくださった
兵庫の『赤松っちゃん』の
25年前の、
リアルなお話です。
まだまだ
続きます。