昨日
323のお話です。
友人に付き合って
甲府盆地に行きました。
県の会議に出るという友人が行く
甲府駅のすぐそばにある
ホテルにナビを合わせたところ
『万寿森古墳』というのがすぐそばであること。
うわっ!
いってみようよ!
会議を終えた友人と
その古墳を目指します。
すると
ものすごいクネクネした細い道に入り込んでしまい、
なんと、そこは
湯治場のような古い温泉街だったのです。
シブい!
なんと、画像は撮れませんでしたが
“亀屋”もあり…
湯村八蹟???
なになに?
こちらで調べてみたら
やはり
地蔵
地蔵
地蔵…
また、
お地蔵さまかーい!
と叫びながら
古墳を探そうとすると
友人が
『秋葉神社ってあるよ!』
ええええええ〜?
で、
いってみました。
湯村八蹟のひとつ
『湯谷神社』
湯谷明神と
秋葉権現を合わせ祀っているようです。
■御祭神:
大きな夕陽が沈もうとしていました。
ここから
ほんのわずかで
『万寿森古墳』
万寿森古墳の規模は東西31メートル、南北38メートル、高さ5メートル[13]。主体部の保存状態は良好であるが、後述の通り江戸時代から石室を利用された痕跡が見られる[14]。主体部は南に開口する両袖形の横穴式石室で、安山岩の自然石による乱石積み(小口積み・横口積み)[15][16]。石室の部材は50センチから80センチの比較的小型の石材が使われている点が指摘される[17]。
石室の全長は14.2メートル、玄室長7.9メートル、羨道長5.3メートル[18]。主軸は南北[19]。石室幅は奥壁付近で2.44メートル、玄室部の袖側で1.61メートル、羨道入口で1.55メートル[20]。高さは後述の通り床面が後代にコンクリート舗装されているため正確には不明であるが、最大で3.3メートルを測っており、数10センチの幅が想定されている[21]。
副葬品や埴輪・葺石・周溝など外部施設は知られておらず、正確な築造年代も不明[22]。近在の甲府市千塚の加牟那塚古墳や、笛吹市御坂町の姥塚古墳では大型石材が用いられているため、万寿森古墳はこれに先行する築造であるとも考えられている[23]。
江戸後期の『甲斐国志』によれば万寿森古墳は古くから存在を知られており、江戸時代には石室を煙硝の保管庫として利用し「煙硝蔵」と称されていた[24]。近代にもホテルの倉庫として利用されており、開口部には扉が取り付けられ、床面にはコンクリートが敷かれている[25]。
古墳から
日が沈むのが見えました。
湯村八蹟のうちの
ふたつしかめぐれなかったけど
今度は巡ってみたいと思いました。
やっぱり不思議だ
甲斐ノ国。