まるで金太郎飴のように
どこを切っても
『南朝』が顔をだすの。
そのような言い方は
たいへん失礼にあたるのだろうか。
ヤヒコ
イヤヒコ
オヤヒコさまも
その例に漏れず。
メグちゃんからの何回目かのメールには
『弥彦神社の宝物殿には、後醍醐天皇の勅額なるものが収められています。』
画像が添付されていた。
後醍醐天皇‼
雛鶴姫の護良親王さまと
宗良親王さまの
父君が、
後醍醐天皇。
越後の旅の寸前の
123の日に
新倉観光の渡辺夫妻とお会いして
奥様のミキさんから
鵜戸神宮の、豊玉姫の土鈴を頂いたんだった。
この日に
『宗良さんによろしくお伝えください』
と、言ったミキさん。
なんと、明日(2月9日)は
123の日以来、ご夫婦にお会いするのだった。
越後のお土産話などあまりないのだけど
やはり、宗良さまのことはお話したいように思う。
「君がため 世のため 何か惜しからむ 捨ててかひある 命なりせば」
こちらは、歌人であった、宗良親王の歌。
この歌を、一美さんは、123の日に、教えて下さったっけ。
あの寺泊に滞在した宗良さまは、
このような句も残していた。
興国二年越後国寺泊といふ所にしばしばすみ侍りしに、帰雁をききて
『ふるさとと聞きし越路の空をだに
なほ浦とほくかへる雁がね』
(李花集)
【通釈】越の国は雁の故郷だと聞いたが、ここの空さえ飛び去って、仮の宿とした浦から更に遠く北へと帰って行く雁の群れよ。
【補記】遠江国井伊城が陥落した後、興国二年(1341)春までに、三十一歳の親王は越後国寺泊(新潟県三島郡寺泊町)に移った。渡り鳥の故郷と考えられていた越の国に実際来てみれば、雁どもはそこからさらに北へと飛び立って行く。流転の己が人生に対する感慨を帰雁に重ね合わせている。
遠江国から
越の国…
その前は、熊野を訪れたわたしは
どうしてこうも
南朝に行き当たるのだろう。
多分
この肖像画は、まったく似ていないのだわ。
なぜだか、そう思う。
大塔宮護良親王と
よく似ていらしたというのだから。
明日
ミキさんたちに確認しようっと!
ヤヒコの謎は
まだまだ、続きます。