この日は
天が味方をしてくれた、
のだと思う。
土蔵の中の古文書は
湿度に弱いとのことで
お天気の日でなければ
開けられないのだそうで。
は
奇しくも
この
『宮下文書 研究会』の
キャッチフレーズだったのだ。
土蔵の扉が ヒラク
は
まるで、
フジ開ク…ようだ。
膨大な数の
巻物
『宮下文書』の原本が存在する。
一つだけ
箱を取り出して
このあとは、母屋に移動。
その小さな箱には、
先代が、特に
徐福関係の方にお見せするよう
その関係の巻物を集めたものだそう。
神代の時代には
神代文字で記され
弥生時代に徐福が来て
それを秦文字に治したと伝えられる。
何度にもわたり
書き写されていて
現在のものは、江戸時代のものだそうだ。
初めての方
やはり、
目の当たりにすると
胸が高まるのだろう。
の文字。
広げてくださる。
驚くべき
それぞれに
様々な指摘をしながら頷きあっていた。
チーム・フジザクラ
アスミ生まれのAちゃんも間に合って
女性四名は
ひたすら、波動で感じようとしていた。
理屈ではなく
皮膚感覚で
感じようとしていた。
その、
コントラストが面白かった。
最後に
感無量の
記念撮影。
当主の、宮下明久さんを囲む。
公人も、全てお顔を隠しちゃったけど
このおじさま方の中には
著名な徐福研究者がいらっしゃった。
この時、頂いた名刺と
今、図書館で借りている本の著者の名が一致して、
あとからびっくり仰天の一日となった。
12月17日、
この日
ここまで連れてきてくださった
目に見える方々
目に見えない方々
ほんとうにありがとうございました。
見えるもの
見えないもの
きっとそれは
溶け合っていくのだ、と
感じました。
1221
冬至の日に向かって。