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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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みしるし ⑦ 星の御紋

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十六菊花紋に星三つ

忍野村忍草
東円寺

ここの寺紋は
なぜ、これなんでしょう?

もしや、また
南朝と関係があるのではあるまいか。

そんな妄想を抱いたわたしは
作務衣を着た御住職と思しき方に訪ねてみた。
(去年の1月28日のお不動さまの護摩法要でお会いしているのに、そのときの正装と異なっていたので、気がつかなかったのだ。)

あのう…
こちらの御紋は
なぜ、菊花紋なのでしょう?


すると、御住職さま

『ああ、それはね、
天台宗比叡山延暦寺の紋なのですよ』
と、仰る。

天台宗の宗紋が
菊花紋なんです。

ええええ!

それを天皇が使うようになったんですよ。

そうなんですか???

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で、
この
星三つは?

それは比較的、新しいんですよ。

そうなんですか?

狐につままれたみたい…。


十六菊花に三つ星の紋に関して
改めて調べてみると、


天台宗の宗章、三諦章(さんたいしょう)と言います。
(中略)
天台山は天帝のいる場所(北極星を中心とした星座)、紫微星(しびせい)を支える三つの星、その真下にある場所という事で名づけられ、日本の天台宗の宗章には、この三つの星が十六菊の上に配置されています。十六菊は日本の国を表しています。
この国清寺は最澄をはじめ、日本からは円珍、栄西、道元なども学んだ地です。


天皇家でこの菊の紋が使用されているのは、最澄が桓武天皇に比叡山で採取した16弁の菊の花を献上した事が始まりと言われ、その為、天台宗では菊の紋の使用を許されていると言われています。



(こちらより転載しました)



そうなんですねえ。

しかし、しかし

比叡山延暦寺‼


護良親王が大塔宮と呼ばれるのは
延暦寺の天台座主を務めていたからではないか!


『10歳で延暦寺大塔に入室したので大塔宮と呼ばれる後醍醐天皇の第一皇子 護良親王(1308~1335年)は、20歳で第117代、21歳で119代と2度天台座主を務めているので延暦寺との関係は深い。』


根本中堂から延暦寺事務所前の広場に戻り、左手の大黒堂の手前に大塔宮護良(おおとうのみやもりなが)親王御遺跡の碑が存在する。

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(画像は比叡山延暦寺からお借りしました。)


待って、待って!

実は、富士山麓が陰の本営だった
『隠れ南朝史』(加茂喜三 著)
なるものに巡りあってしまい

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その中心が、なんとわたしの住んでいる忍野村。
忍びの里なので、忍の文字が村の名についている、と!


その、忍野村にあるお寺が
比叡山延暦寺の末寺で
護良親王の大塔宮の名は
そこから来てるって???

これは、
なんちゅう、因縁なのかしら?

それとも
必然???

たまたまの偶然???

さあ、
まだまだ
探求しなければならないことが
目白押し。

ついでに、
御住職に聞いちゃおう。


そのあと、
すぐ下にある忍草浅間神社が、表向きは木花咲耶姫だけど、実情は南朝天皇を木像に彫刻し祀る神社である、という
『探求 幻の富士古文献』渡辺長義 著
の巻末に載っている話に触れてみた。

すると、
『それは間違ってますね、
木像は、かぐや姫です。鎌倉時代に彫られたものなので、南朝よりずっと前ですよ』
と、おっしゃった。

うーん。

ああ、思い出した。
富士山の女神だった 『かぐや姫』が
なぜ、
この忍野村に祀られているのか
やはり去年の始めくらいに
思い切り調べてみたのでは無かったか。

あの神像は確かに
南朝天皇、というよりは
かぐや姫に見えるなあ…

ひとしきり、御住職の、かぐや姫のお話を聞いたあと、
お礼を言って失礼しようとしたんだけど
あるものが気になった。


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三ツ星と一文字…

これはこの辺りの
渡辺家の家紋だと知ってたんだけど
一応、聞いてみた。

『ああ、これは渡辺家の紋ですよ、
この辺りは渡辺姓が多いもんで…』

ですよねえ…


これも、偶然の産物なのだろうか。

天台宗の宗章、
『三諦章(さんたいしょう)』
天帝のいる場所(北極星を中心とした星座)、紫微星(しびせい)を支える三つの星、

一方

「三つ星一文字紋」は、嵯峨源氏から出た渡辺氏の代表紋となっている。「渡辺星」とも呼ばれる』




三つの星紋が
ひとつのお寺に…。

これも、偶然?


まあよい。
先に進むことにしよう。


思えば
わたしは鳳凰の天井絵に惹かれて
このお寺を最初に訪ねたのだった。

そのときに、この御住職に会い
お不動さまの護摩法要に誘っていただいたのだった。

その時の記事。

ここの天井絵の鳳凰。

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来年は
丁酉(ひのととり)

もう少しで
出番ですよ、
鳳凰さま‼


今年の謎は
今年のうちに!




さてさて

忍野村は
忍草村と、内野村が合併してひとつの村になった。
だから、浅間神社もふたつ
寺院もふたつ。

次は、宇宙野里、と太古は呼ばれていた
内野のお宮さんとお寺に向かいます。

そこには、
南朝の護良親王の子孫の墓
徐福由来の薬師如来が本尊とされている、
前述の

『探求 幻の富士古文献』渡辺長義 著』

{594786D6-3489-4806-A53E-B0D1AA5579A8:01}

に、記されているのだ。


わが家から、徒歩五分!

そんなところに
そんな重要なものが???



小雪が散らつく中
銀獅子を飛ばします。





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