わたしは
南朝と
いつ
いかなる理由で関わったのか。
コメントくださった方のリコメにも書いたけど
今から、23年前
天河大弁財天社にあしげく通っていたころ
天川村の『南朝史跡』なるものに
連れて行っていただいたの。
あれは、どこだったのだろう?
検索したのは、一昨日。
これをみて
わたしは本当に
イヤになってしまった。
なんなのだ!
『黒木御所跡』???
護良親王じゃないの〜!
ただ
黒木御所と呼ばれる場所は
幾つかあるらしく
護良親王が過ごした黒木御所は
十津川にあるらしく。
ここは、わたし
行ったことがない。
十津川村は
行ったことがないんだもの。
よかった〜!
行ったことがないことが、
こんなに安堵するものなのか。
さて
ブログを始めてから
丸五年がたつ。
2011年9月。
そのころは、毎日のようにブログを書いていたわけではないし
最初のころの記事を読んでみたら
あまりにも稚拙で
恥ずかしくて大半を削除してしまった。
だけれども
削除しなかったのは
この記事だ。
9月に、敬宮愛子さまや雅子さま
そのご学友をご案内したわれらがNPOに
東宮御所から
菊の御紋のどら焼きが送られてきたのだ。
その、菊の御紋に関して
わたしが、つまらないことに気がついてしまうのだ。
(上記の記事を読んでみてくださいね!)
この記事を書いたことにより
あるかたからコメント頂いたことから
『大室寅之祐』=『明治天皇』
なる説に
はまり込んでしまうのね。
この時が
再び
南朝へといざなわれる
二度目の時だったのかも。
そして、三回目。
今回は
そうとう、来てる。
書け、書け、書け
書いて、書いて、書いて…。
そして
徐福の本を借りようと、図書館へ行けば、
南朝関係の図書が目白押し…
それだけでも、ない。
現在、わたしが住んでいる
忍野村
そこが、南朝の隠れ里の中心地
なる記述を見つけてしまったのだ。
うーん
ヤバイ…。
今日は少し頭の中を整理したあと
わが、忍野村の
二つの浅間神社、
(忍野村は、忍草村、内野村の二村か合併してできている。その両方に浅間神社が存在する。それらは、表向きは木花咲耶姫を祀るが、実際は、南朝の御子を祀るとの記述あり。)
わが、忍野村の
二つの代表的寺院、
(こちらも、護良親王の曽孫などを祀る)
との記述を見つけてしまったので
行くしかないかなあ、と。
忍野村忍草にある
『東円寺』
星、みっつ!
まずは
こちらの謎解きから。
庭を掃いている
初老の作務衣を着たかたあり。
この、
菊の御紋に星みっつの由来を聞いてみた。
なんと、それは
住職さまで
思いも寄らない
由来を話してくださったのだ。
続きます。