今回は、四社巡りはしない、
と思っていたのに
通りがかり上
春宮を参拝して
そのあと、
御神渡り神事を行う、今回の目的地である
『八剱神社』に参拝。
そしていよいよホテルに向かうとき
橋を渡るのだけど
大きな鳥居が見えて
『諏訪大社上社』と、デカデカと書いてあり…
ええ?
なんと、友人が予約したホテルは
インターのすぐ近くだと言ったけど
こんなに上社に近かったの???
というわけで
朝、出発したら
寄ってみようか、という流れになった。
ううん
なんたる采配?
で、結論から言うと
今回も、四社巡りをすることに。
富士の水をペットボトルに
4分の1 残した意味がわかろうというもの。
で、
朝早く、本宮に行くことになるのだが
少し気になる話があったので
先にそちらの話。
10月17日に、訪れた『八剱神社』は
手長、足長神社というものが、近くにあり
宮司さんが一緒だと言うことだった。
5時ギリギリで八剱神社に参拝したわたしには
もちろん、その『手長』『足長』神社に寄る時間はなかったのだけど。
ん?まてよ?
手長、足長は
それぞれ、別々の神社なのかしら?
それとも
手長・足長神社という
ひとつの神社なのかしら?
どうでもいいことなのかもしれないけど
妙に引っかかった。
『手長、足長』で調べてみると
それは、妖怪であるらしかった。
ふたり(?)の
妖怪???
北斎も描き
水木しげるのゲゲゲの鬼太郎にも登場する???
『秋田では鳥海山に棲んでいたとされ、山から山に届くほど長い手足を持ち、旅人をさらって食べたり、日本海を行く船を襲うなどの悪事を働いていた。鳥海山の神である大物忌神はこれを見かね、霊鳥である三本足の鴉を遣わせ、手長足長が現れるときには「有や」現れないときには「無や」と鳴かせて人々に知らせるようにした。山のふもとの三崎峠が「有耶無耶の関」と呼ばれるのはこれが由来とされる』
しかし、恐ろしい巨人の妖怪ではなく
神仙としての、手長足長もいたらしく
『長野の上諏訪町(現・諏訪市)では、手長足長は諏訪明神の家来とされており
、手長と足長の夫婦の神であるといわれ、手長足長を祀る手長神社、足長神社が存在する
。この二社は記紀神話に登場している出雲の神である奇稲田姫(くしなだひめ)の父母・足名稚(あしなづち)と手名稚(てなづち)が祭神とされているが、巨人を祀ったものだという伝承もある』(Wikipediaより)
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また、
モリヤ族についていたが
建御名方神が出雲からやって来たとき
降参したのだいう伝承もあった。
そこから、諏訪明神の家来となったということなのだろうか?
建御名方神の祖父にあたる、須佐之男が
八岐大蛇を退治する神話に出てくる
奇稲田姫(くしなだひめ)の父母・足名稚(あしなづち)と手名稚(てなづち)
としてしまったのは、
後世のことらしい。
足長は
長髄彦と、関係は無いのだろうか?
もともと、現在の奈良盆地の帝だったという『長髄彦』は、熊野から攻めて来た神武天皇に滅ぼされた。
安曇の地の大王であった『八面大王(八女大王)』は、坂上田村麻呂によって
身体をバラバラにされ、埋められた。
どうも、大和朝廷の天下統一は血生臭い。
まつろわぬものどもの屍の上に成り立っているみたいだ。
しかし、出雲の神々は
おおらかに思える。
建御名方神は
モリヤ族を敬っているかのようにも見える。
ミシャグヂを降ろす生き神としての神長官は、この地で明治になるまで存在していた。
そして、手長・足長も
神として祀られている。
やはり、諏訪は奥深い。
さてさて
かなりな寄り道をしてしまった。
いよいよ
諏訪大社 上社の本宮と前宮へ。
今回は新たな、発見を伴った。
(ふう…頑張って続く。)