那智の滝の飛沫を浴び
富士のお水をつないだわたしは
感無量となり
このまま、まっすぐ富士山に帰っても
満足な感覚となっていた。
道中は長い。
また、7時間かかるのだろう。
すでに時計は15時を回っていた。
来た道を
ひたすら戻る。
ここから
なぜか、神社があまり好きではない友人が
おかしなことを言う。
『あの、新宮っての、ついでだからよって行く?』
えええー⁈
いいの〜?
さらには
『熊野速玉大社』の大きな矢印看板の手前に
『神倉山(矢印)』を
わたしより先に見つけて
神倉だって!
カミクラ
カミクラ!
と
おかしなことを言う。
まったくいつもと逆だ。
あの、アワシマの時のこと
ククリの日のことを思い起こせば
まったく逆のパターンではないか。
とりあえず、速玉大社へ行くために、神倉山の矢印は、通り過ぎる。
車は、熊野速玉大社の駐車場に滑り込む。
地図があり
そこにも
『神倉山』が指し示されていた。
この熊野速玉大社と
深い関係があるらしい。
(あとからわかったことには、深い関係ところではなく、もともと神倉山に祀られていた神を、ここの神社の祭神としたのであった。
でも、そんなこととは露ほどもしらぬわたしたち…)
なにしろ、
お参りを致しましょう。
八咫烏、
速玉大社の
ナギの木の御神木とは
だそうです。
以前、記事にしたこともあったけど
ここで、初対面。
千年の梛の大木。
こちらの葉が
御守りとなるそうで
何枚か、拾わせていただいた。
(少し長いけど、こちらからの転載です)
『「梛」の意味はもちろん「梛の木」ですが、「梛」という字には親から子供への願いをいくつか込めることができると私は思います。
神さまの守護
梛は熊野の御神木。その葉は金剛童子(仏教徒の守護神で、阿弥陀如来の化身とされた)の変化身と考えられ、参詣者は帰途の安全を願い、梛の葉を護符として袖や笠などに付けました。あるいは武士が戦場で兜や鎧に付けました。梛の葉が災厄避けのお守りとして使われたのです。
「梛」の字そのものにはそのような意味はありませんが、神さまの守護を得られますようにという願いを込められるように思います。
良縁
梛はマキ科の常緑高木。針葉樹でありながら、広葉樹のような幅の広い葉をもちます。その葉には、縦に細い平行脈が多数あって、主脈がありません。その独特の構造のため、梛の葉は、横には簡単に裂くことができますが、縦にはなかなかちぎることができません。
葉の丈夫さから梛にはコゾウナカセ、チカラシバなどの別名があり、その丈夫さにあやかって男女の縁が切れないようにと女性が葉を鏡の裏に入れる習俗がありました。また梛の葉は裏も表も同じようなので裏表のない夫婦生活が送れるとか。
それらのことから「梛」の字には良縁に恵まれますようにというような願いを込められるように思います。
穏やかな人生
梛という名は、凪(なぎ)に通じることから、漁師や船乗りにもその葉がお守りとされました。
人生という航海を平穏無事に送れますようにという願いを込められるように思います。』
だそうです。
さて
やはり気になるのは
『神倉山』だ。
何故なら、
謎の多いこちらの神様(熊野大神)は
始めに
神倉山に降臨した、と
どんな文献にも記されているからなのだ。
かと言って
ほんとうに行くこととなるとは
この時点では
半信半疑だった。
ついに
聖なる地
熊野詣
ラスト〜!