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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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『う は ウガヤフキアエズ の う』古代の王

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その
島の中心部にある
『鵜の島神社』

拝殿も、本殿もある
立派な作りなのに

『誰もいない』と
N氏は言った。

彼は、エネルギーで
ものを見るのだ。

そこにもともといたのは
なんと
御室浅間神社の宝物殿の中に
閉じ込められていた
紫色の
子どもの龍だったのだ、と
Nは言う。

と、言うことは…

7月11日の
二合目御室浅間神社の山宮とも
この話は、つながっているのか…

ところで
ここに祀られている
『ウガヤフキアエズ』とは?

皇祖神
であるがゆえ
今生天皇が
この小さな河口湖に浮かぶ島に
拝啓されたというのだ。


『天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)の孫にあたる皇祖神(こうそしん)の直系、日向(ひゅうが)三代の末(すえ)である。父神は山幸彦(やまさちひこ)として知られる火遠理命(ほおりのみこと)、母神は龍宮(りゅうぐう)にすむ海神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘・豊玉毘売(とよたまびめ)である。

『古事記』に見える正式な神名は、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)で、これを意訳すると「渚(なぎさ)に海鵜(うみう)の羽毛を葺(ふ)き合わないうちに生まれた勇ましい天孫の御子(みこ)」となる


(やはり、鵜の羽毛なのだ…)


母の豊玉毘売は、「海国(わたつみのくに)で天津神(あまつかみ)の御子を産むのは畏(おそ)れ多い」と思い、父の火遠理命の御子を産むため葦原中国(あしはらのなかつくに)を訪れたとき、にわかに産気づいた。火遠理命はこのとき、大急ぎで海鵜の羽根を使って産屋をつくったのだが、その屋根が葺き終わらないうちにその御子が生まれた。正式な神名は、これに由来する。

このとき鵜葺草葺不合命を産んだ豊玉毘売は、八尋(やひろ)もある巨大な鰐に変じていたという。火遠理命は、毘売から言い渡された禁忌(きんき)を破り、出産の場面をのぞいてしまった。毘売りはこれを恥じ、生まれたばかりの御子を残し、海坂(うなさか)(海上の境)をふさいで龍宮へと戻ったという。

(中略)

鵜葺草葺不合命は長じて、豊玉毘売が自分の代わりに乳母(うば)として差し向けた妹・玉依毘売(たまよりびめ)(叔母(おば)にあたる)と結ばれ、五瀬命(いつせのみこと)、稲氷命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)の四柱の御子をもうけた。この末子(ばっし)の若御毛沼命(神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと))が、のちに初代の神武(じんむ)天皇となるのである。

なお、鵜葺草葺不合命の乳母であり妻となった玉依毘売の神名は、固有名詞というよりは普通名詞と考えたほうがよく、「玉」とは神霊、「依」とはよりつくことを意味する。』

古事記(ふることふみ)を参考にすれば

このようなことになるが

それも、ここにいた

あるいは、Nの背後にいる、紫色の子どもの龍が、

『ウガヤフキアエズのみこと』であるとは

どなたが断言出来るのだろうか?


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続きます。








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