『天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)の孫にあたる皇祖神(こうそしん)の直系、日向(ひゅうが)三代の末(すえ)である。父神は山幸彦(やまさちひこ)として知られる火遠理命(ほおりのみこと)、母神は龍宮(りゅうぐう)にすむ海神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘・豊玉毘売(とよたまびめ)である。
『古事記』に見える正式な神名は、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)で、これを意訳すると「渚(なぎさ)に海鵜(うみう)の羽毛を葺(ふ)き合わないうちに生まれた勇ましい天孫の御子(みこ)」となる。
(やはり、鵜の羽毛なのだ…)
母の豊玉毘売は、「海国(わたつみのくに)で天津神(あまつかみ)の御子を産むのは畏(おそ)れ多い」と思い、父の火遠理命の御子を産むため葦原中国(あしはらのなかつくに)を訪れたとき、にわかに産気づいた。火遠理命はこのとき、大急ぎで海鵜の羽根を使って産屋をつくったのだが、その屋根が葺き終わらないうちにその御子が生まれた。正式な神名は、これに由来する。
このとき鵜葺草葺不合命を産んだ豊玉毘売は、八尋(やひろ)もある巨大な鰐に変じていたという。火遠理命は、毘売から言い渡された禁忌(きんき)を破り、出産の場面をのぞいてしまった。毘売りはこれを恥じ、生まれたばかりの御子を残し、海坂(うなさか)(海上の境)をふさいで龍宮へと戻ったという。
(中略)
鵜葺草葺不合命は長じて、豊玉毘売が自分の代わりに乳母(うば)として差し向けた妹・玉依毘売(たまよりびめ)(叔母(おば)にあたる)と結ばれ、五瀬命(いつせのみこと)、稲氷命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)の四柱の御子をもうけた。この末子(ばっし)の若御毛沼命(神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと))が、のちに初代の神武(じんむ)天皇となるのである。
なお、鵜葺草葺不合命の乳母であり妻となった玉依毘売の神名は、固有名詞というよりは普通名詞と考えたほうがよく、「玉」とは神霊、「依」とはよりつくことを意味する。』
古事記(ふることふみ)を参考にすれば
このようなことになるが
それも、ここにいた
あるいは、Nの背後にいる、紫色の子どもの龍が、
『ウガヤフキアエズのみこと』であるとは
どなたが断言出来るのだろうか?
続きます。