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姉の不思議話 『加藤清正とわが家の因縁』0502

姉がやって来た。


わたしは今回は
例の『清正公』の話を
もう一度、確かめようと思った。

高輪の白金にある
加藤清正の『清正公』に、姉が何度か行かされたとの話である。


熊本の地震の際、熊本城が被害を受けたことで、にわかに、こちらを築城したといわれる『加藤清正』の名が
クローズアップされている。


一方、東京は高輪の
『清正公』は地名でもあり
加藤清正の死後
神格化された名が『清正公(せいしょうこう)』であるらしい。

そのことは
2014年1月29日のブログに書いてあった。



わたしたちの父には、姉がふたり。

清子おばさんと勢江おばさん。
キヨちゃん、セエちゃん
と、父は呼んでいた。

ここからは、初めて今日
姉から聞いた話である。

姉が、どなたかから
『セイショーコーておりてください』
と、言われた時
セイショーコーは父から聞いていたな、と思ったそうだ。

そうなの?

わたしはちびっ子だったためか
『セイショーコー』なる地名は、聞いた覚えがなかった。

バス停『清正公前』は
もっとすごい因縁があったのは
今日、初めて知った。


勢江おばさんの、お墓があるだけではなく
(勢江おばさんは、嫁に行ったので)
わたしたち先祖のお墓も
その、清正公前にあったというのだ。

わたしは小さい頃
その、高輪のお墓の前で
小さい手を合わせたことを覚えている。

高輪、としか
覚えていなかった。
白金?
三田?
その位置関係は、いまいちわからない。

清子おばさんは、高輪に住んでいたし
勢江おばさんは、白金に住んでいたらしい。

そして
戦争が終わって、何もかもが焼け野原。
そうして東京に帰って来た父が
とあるお寺の境内に、身を寄せた。

そのお寺が
『清正公』にあったというのだ。

そうなの?
そうだったの???

わたしたちの先祖の墓を
そのお寺に建てたのは
勢江ちゃんだったか
清ちゃんだったか、である。
江戸時代に生まれたわたしたちのひいおじいちゃんからのお墓。




何かの水害にあい
そのお墓は、お寺ごと
相模の『伊勢原』に引っ越しをしたのは
わたしが小学生の頃だったと思う。


伊勢原といえば
大山信仰の地であり
それはそれで
大山祇とのご縁を深く感じていたわたしにとっては
さらに因縁のある土地であったけど。


さて

高輪、白銀台の『清正公前』に
おばのお墓が現在もあり
わたしの先祖の墓がもとあった場所であり
戦後、父が住んでいたことがあったことはわかったけど

だからどうなんだ?
ということまで今回もわからずじまいになってしまった。
でも、
その土地の因縁めいたものは
確かに、存在するんだろうな。


加藤清正の『蛇の目紋』





母とわたしたち姉妹のお喋りは
その後、とんでもない方向に進んで行く。


姉は、エリック・クラプトンの東京公演で
彼が、アディダスの上下を着ていた話で興奮し(姉は代官山で、アディダスのインポートショップを営んでいたのだ。)


母は、『流鏑馬』と、馬が走るのが好き、それはね、パパの影響なのよ!
と、わけのわからないことを言い続け


(菊池武光もお馬さんに乗ってるよ!)



わたしは、川上犬の話ばかりしていた。


(わたしの現在の待ち受け画面。)

要するに
皆が平和で
皆が幸せなのだ。

夢中になれる何かを
三人三様に持っている、ということで。


加藤清正と、わが家との関係はわからずじまい
だったけど

絶対に

何か、ある。

そうに違いありません。

明日は終日仕事で
姉や母の相手は出来ないのだけど

また、異次元トークを、楽しみにしていますね。

それまで元気でね。

たった一人の、姉と
母よ。



















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