かみさま、というのは
エネルギーなので
名前に囚われてはならない。
あるか、ないか
あるいは、どんなエネルギーか。
そのことは、何度も聞いたことがあるのに
つい、わたしたちは、名前に囚われてしまいます。
関西からいらした
Fさんの様子をみていると
ああ
ほんとうに、そうなのだなあ、
という感覚がしました。
エネルギーを感じる、いうのは
本来、誰でもが持っている感覚で
つねに、
なんとなく、好き、とか
なんとなく、あたたかい
とか
なんか、いやだな、とか。
そんな直感でいいんだよね。
そう思っていたけど
やはり、答えみたいなもの。
やっぱり、そうでしょ?
みたいな確認が欲しい時があります。
この日はまさに
そんな感じ。
富士吉田にある
北口本宮浅間神社は
創建される平安時代以前は
諏訪神社でした。
現在も、そこから伸びる吉田口登山道の辺り一体を
『諏訪の森』といいます。
度重なる、富士山の鎮火のために
延暦7年(西暦788年)
そこに『アサマノオオカミ』を祀った、とされます。
上手に今でも共存する作りとなっていて、ここの境内は
正面に富士山
西側に諏訪神社を祀る。
諏訪神社に参拝するときに
Fさんは、
『三輪と同じですね。』と言いました。
三輪さん、
すなわち、ヘビであるらしい。
関西のひとは
ヘビのことを、『みーさん』というのになあ、と思いました。
それは、わたしの固定観念なのか、
それとも関東風に言ってくれたのか…
そういえば
この、諏訪神社のお祭りだといわれる
日本三大奇祭『吉田の火祭り』の記事を去年書いたのですが
こちらも、蛇でしたね。
面白いなあ。
蛇といえば、水の神様なのに
ここでは、火の神様だ。
それとも、火に対しての
火伏せとしての水なのか。
さてさて
この浅間神社は、もともとは諏訪神社だったといいましたが
さらにの、元の場所と伝えられる箇所、あり。
その
もともとの場所、と言われているところへ
ご案内しました。
ひっそりと
しめやかに
佇んでいました。
日曜日なので参拝客に溢れていた
北口本宮浅間神社に比べて
どなたもいない…
ここには
『御柱』(おんばしら)があるのです。
もともとの御柱は
生きている樹で、神域を作っていたようです。
神社の、もともとのカタチ。
それが残されているのが
左右に配置される
『御神木』のようです。
ここでは
御柱のカタチを留めて
東西南北に四本?
いえいえ
一本が欠損しており
三本でした。
この、小さな祠の
左側の御神木が欠如しています。
おそらくは
枯れてしまったのか…
ここで
Fさん
光の御柱を
一本、そこに立ててくださいました。
すごいわあ…
このあとには
あの
『御鞍石』にご案内しました。
昨日のお話なので
早くUPして
今日のお話にたどり着きたいのですが
やはり、続いてしまいます。
ごめんね。