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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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『みづ』と『石』のくに ②せの海

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わたしは何だかなあ

この方のように
龍神さまいっぱいくっつけて旅をしたりはしないし、

(いつだったっけ。
東北から関東まで、
川を渡るたびに、龍が身体にくっついて来て
こっちのエネルギーも考えてよう、といいながら…重い???
それが、一気に
サガミで、降りた、り。)

そういうの、一切ないんです。

鈍感体質なわたしは
やはり、今回の役割のために
そのようにされているのだ、と
最近は素直に、そう思えるようになって来た。

kanちゃんの場合は
それがお役目でもあるので
仕方が無いといえば、
仕方が無い。

そんな彼女が
まだ、富士山麓、もとい
西湖(古せの海)で
なんのお役目がまだあるというのだろう。


たぶん、なんだけど

龍神さまの期待が彼女に大きすぎて
小さなカラダで
思いっきり
大きなハタラキを、余儀無くさせられているのだろうなあ。


間があるけど
たどってみて下さい。

ここで、やはり
西湖…
古代の『せの海』というのが
重要なキーワードであるみたい。

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(西湖の ウヅメ)



『せの海』を
『石花海』と、書くこともあるのだと
気がついた方が
なかなかの記事を書かれている。

(上田美月さん.メッセージありがとうございました。
わたしは現在、メッセージの送信が出来ない設定にされてしまっており、
そちらはコメント欄を閉じていらっしゃるので、お返事が出来ないております。
メッセージでいただいたシリウスのこと、やっぱり、という感じでした。
今後とも、よろしくお願いいたします。)

この方は
クニマスという奇跡の魚が
西湖と
秋田の田沢湖を結びつけることも気づいてしまったし。

(上田美月さんのブログ)


西湖という湖のことに関しては
kanちゃんの
この『その七』のブログ記事のコメントに書いています。



『西湖がかつては『せの海』といい
富士山の西暦864年の噴火によって埋没したせの海の子どもが、西湖、精進湖。
本栖湖もそうであったと考えられる。
せの海は、石花海とも書いた。(平安時代)

その後、千年も静かな暮らしをしていた西湖の人々に、悲劇か起きたのが、昭和40年。
台風による鉄砲水により
根場部落はほぼ壊滅状態。
残ったのはわずかな民家と
小学校の校舎だけ。
(現在の富士山クラブの利用している場所)

カンちゃん宿泊のゲストハウスも、その流された土砂の上に建てられた。

その前のちい小さな祠が、榛名山の神様で、それが高龗?闇龗?だったと知ってわたしもびっくり。

龍宮が、そうであるように
桑を植えてお蚕さんをしていた西湖の人たちは、いつも雨乞いをしていたようなのです。
でも
その平和を脅かした、台風による水害、
それ以降
西湖の人々は、雨乞いをしなくなったそう。
やがて、龍宮は忘れられてしまった。

龍たちは、私たちに
託しているのでは無いかしら???

水の神の復活

森羅万象の神秘に
人々が再び気がつくこと。

白州がどんな意味が、あるのかはわからないけど
わたしもかつて
尾白川の石を富士山の河口湖に奉納したことあり。
そのときに

オジロではなく
オジラ、という妙な呼び方に
アイヌやエミシを感じたよ!
(また、そこかあ)』


今、伝えたいことは

やはり、西湖の水害のこと、と
雨乞いの神である、龍宮(せの海神社)のこと。

この、相反する
みづのチカラ。




補足です。

せの海は
西暦864年
富士の貞観噴火により、埋没した。

樹海の奥深く

みづを湛えた溶岩の洞窟あり

いつの時代からか
雨乞いの神として
そこを『せの海神社』と名付ける。









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