宇天神の木
『一、由緒
どこまで行くんだろ。
と聞いた時
それって
宇宙の天神さまじゃないの?
などと、思ってしまいました。
ちょうどそのころ
chiaさんが、天神さまと、ある玉の夢をて、
ルカさんとの三人のグループラインで盛り上がり、
kanちゃんに救いを求めたところ
『天神さまは、菅原道真じゃなくって、
宇宙の神さまだよ』
と、言われ
とある、おそらくはchiaさんの持っていたカルマ断ち、とか出来てしまった経緯がありました。
(何のことやらわからないですよね。まあ、何しろ、たくさん色々あったのです。)
この日
2月23日は
その色々が、ほとんど解決していたのですが
『宇天神の木』が気になったわたしは
岡田紅陽写真美術館のあとに
くだんの『天狗社』に
寄ってみたのでした。
ほんとうに、わが家から近いのですが
このお宮の前は、どちらから来ても、通ることはありません。
わたしが住んでいる忍野村の内野というところには
三つのお宮さんがあり
八幡神社と、浅間神社の前は
毎日のように通るのですが
この、天狗社は
よし!といってわざわざ行く感じなのです。
すっかり御無沙汰をしており
申し訳ございませんでした。
よし‼
どなたもいない…
この土地の
氏神さま的な、場所なのでしょうか。
うーん
わたしが写真を撮っても
なんの変哲もない、神社の写真ですねえ。
あれれ?
このこと?
という
看板の中の文字を見つけました!
『一、由緒
当社は古くは字天神木に祭祀されていたが、寛文年中現在地に移された。』
宇天神(うてんじん)ではなくて
字天神(あざ てんじん)…
と、言うことは
地名、ということなのかしら?
次の日
『字天神木』の謎を探るべく
忍野村村立図書館へ行ってみた。
わたしも好きねえ、
と、思いながら。
『字天神木』の地名に関しては
幾つかのヒントがありました。
『忍野の遺跡』という
貸出禁止の冊子です。
『内野村は大昔、宇津野村ということを、幾度か聞かされている。』
『伝うるに内野村の原住民は古屋に住んでいたと聞いていた。』
『また古屋には神や仏の所在も多く南面日向きで肥沃に恵まれ水便がよい住みよい処である。
天神木の登り坂 今の渡辺○○家付近、辻村といい、古屋敷を宿としてつたえられている。』
『辻村から見るに、東南に釜の形をしているから内釜
(中略)
正面には天神屋敷があったから天神木。
それぞれ歴史の呼名が残されている。
天神木東南よりに 旧天狗社 寛文の年、上村の今の地に移される昔 法院様柏木宮司先祖持ちで屋敷に祀られていたが社地とともに内野区に寄附された。』
赤字が、わたしの気になる箇所です。
そうして
明治になって『武甕槌神』となる前は
御正体山の『摩利支天』
しかし、それ以前には
この場所ではなく
天神木、という場所にあり
寛文年中に
ここに移されたときに
御正体山の摩利支天を勧請したということは
それ以前は
何が祀られていたんだろう?
その
もとのもとのもと…
そこで、気になったのは
ひとあきさんのコメントに書いてあった
地元の民俗学者さんのおっしゃっていたという
『石尊大権現』のことでした。
『だいぶ以前に、地元の民族学者の方に天狗社について聞いた時に、やたらと石尊大権現の話しをされて当時の自分はチンプンカンプンだったのですが、こちらのブログを拝見して何となく話がつながりました。』
どこまで行くんだろ。
どなたか
止めてくれ~い!