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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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唯一無二の フジ 0223 富士山の日に

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『湖畔の春』は
みんなのお財布の中に入っている。



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千円札の裏側のこの富士山は
本栖湖に映り込む逆さ富士。

岡田紅葉氏がおよそ100年前に
撮った写真をもとに描かれている。


この日は
なんと生まれて初めて、
オリジナルプリントの前に立つ。


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わあ~
本物だ!


この日、223、富士山の日に
本栖湖から来たMさんと
ふたりで立つって
不思議な感覚だ。


忍野村にある
岡田紅葉写真美術館。

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四季の杜おしの公園・岡田紅葉写真美術館


この日は特別展を見て、様々な場所から氏が撮った富士山を見てから、常設展に向かった。

常設展の最初に、この『湖畔の春』が

どおん!と迎えてくれた。

わたしはなんとなく、Mさんに聞いて見た。

『どこからの富士山が一番好き?』

すると、案の定の答え。

『本栖湖からが一番好き。湖も、本栖湖が一番好き。』

彼女は、東京から移り住んで、25年になる。

『だって、色が違うもの、湖の色が。』


やはり百年前、日本に来たイギリスの写真家が、

河口湖をエメラルド

西湖をサファイアの湖と表現した。

もしも、彼が本栖湖へ行ったとしたら(行ったかどうかは知らない)

本栖湖は、ラピスラズリ、とでも表現したのだろうか。

摩周湖についで、日本で二番目に透明度が高いとされていた本栖湖。(現在は、五番目くらいになってしまったはず。)


わたしはどうなんだろ。

そんなにはっきりと、どこからの富士山が一番好き、と言えるのだろうか。


河口湖からの写真があった。

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この富士山へ続く道は『みさか路』
甲府盆地から、御坂トンネルを抜けて、戻ってくると
どおん!と、この富士山の姿か出迎えてくれる。

無論、現在とは比べ様もない、簡素な田園風景なのだけど。

わたしはこの富士を見て
泣きたくなった。

やっぱり、美しい。
やっぱり、好き。


そして、
岡田紅葉が愛した
忍野富士の写真。

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彼は、自らを『富士狂』と表現したが

きっと、富士山そのものの形だけではなく

それを包む、
日本の原風景を愛したのではないか。

それには
当時の忍野村の素朴な寒村の様子が
愛おしく
彼の目に、映ったのかも知れない。


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『岡田 紅陽(おかだ こうよう、1895年8月31日 - 1972年11月22日)は、日本の写真家

新潟県出身。本名・賢治郎。早稲田大学卒。1923年の関東大震災の被害状況を東京府の嘱託として撮影。1925年写真スタジオを設立。主に山岳写真、風景写真を撮影、富士山の撮影をライフワークとした。1952年日本写真協会を創設。』


関東大震災の被害状況を撮影中

紅く染まる富士山を見て

(東京からとは、朝焼けの紅富士だ)

つねに見守ってくれる富士山に感銘して

自らを

『紅陽』と名乗ったのだという。


すごいね、

富士山。




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