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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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雨の浅間(アサマ) ①徐福

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あいにく、小雨がぱらついて来た
八月最後の土曜日。

それでも、国道138国道線は
最後の夏休みを富士山麓で過ごす観光客の車でやや混雑している。

河口湖の某所で、またまた友人とランチをしていたのだけど
別れて、忍野村へ帰る途中
寄り道がしたくなった。

北口本宮富士浅間神社。

富士吉田にある、山梨県の最大規模の富士山を祀る神社。
一昨日、富士鎮火祭、通称『吉田の火祭り』が終わったばかり。

気になって、確かめたいことが幾つかあったのだ。
まあ、こんなことは久しぶり。
時間的な余裕が少しばかり出て来たということなのか。
富士山の登山シーズンが終わりを告げると
わたしたち、自然体験インストラクターやガイドたちも、一段落なのだ。

山梨県側の浅間神社は
せんげん、と読まずに
アサマ、という。
あくまでも、富士の神は
アサマノオホカミなのだ。

いつも車を停める場所へ右折するには
国道が混みすぎていた。
その手前で一車線となってしまう国道138線は、わたしが右折しようとすれば、車の流れを止めてしまう。

それで、仕方なく
次の信号で、右折することにした。

確かめたい場所と、逆の方角になってしまうが、致し方無い。

雨が少し強くなった。
傘も車に入れていないし、
相変わらず足元はクロックスだ。
この夏は何度これで失敗したことか。
水は入ってくるし、サンダルの底は溶岩などのゴツゴツをストレートに足の裏に伝えてしまう。
幸い、車には入れっぱなしのゴアテックスのパーカーがあった。

浅間茶屋、というほうとう屋が
浅間神社の東側にあるのだ。
それは神社の敷地内に数年前オープンしたもので、そこに広い駐車スペースがある。

パーカーを羽織り
足早に、参道に向かおうとしたけれど
あるものに足を留めた。

『徐福の碑』が
浅間神社の敷地内にあるのだ。

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いつもは素通りしてしまうのだけど
改めて、その意味を考えた。

なぜ、ここにあるのだ?

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雨の染みのせいか、全く読めない由来書き。

徐福伝説は、
富士山のいたるところにその痕跡が見つかる。

こちらはそう古いものではなさそうだが、
浅間神社の敷地内にあることが、大きな意味を持っていそうだ。

調べてみたら
ここにはこう由来が明記されているらしい。

「徐福碑由緒
紀元前二一〇年秦始皇帝の命により徐福は三千人の童男童女五穀および百工を携えて東海の三神山に不老長生の薬を求めて船出して再び中国に戻ることはなかった。<富士山北口の記>には『徐福は熊野三山を巡回した後,尾張の熱田に至り,それより諸州を廻り遂に富士山麓を安住の地と定める』とある
ここに中国佛教協会会長趙樸初先生が徐福故事を偲んだ詩を石に刻し徐福碑とする」徐福碑(富士吉田市上吉田)

こちらのブログさんには
さらに詳しく周辺の徐福伝説の地の説明が書かれていた。


そう。
秦の始皇帝が徐福を遣わしたことから
富士吉田と山中湖村に多い羽田姓は
その末裔であるという説。

織物の町であることから
徐福が養蚕と織物を伝えたという説。

これは、8月22日にchiaさんと訪れた
Soulトリップの延長線にあるのではないかしら???



ヤバイ、ヤバイ、
今日の目的はこれではない。

もっと奥の、奥の

あの場所。

雨が強くなってきた。

早く行かなくては…













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