石の名は、『御神鞍石』
祭りの名は、『御鞍石祭』
なんて読むのだろう…
地図で見ると、こんな場所に何かあったっけ?と思う。
アマノタジカラヲの舞と神楽は、まだまだ続いているみたいだけど、一足先に、そこを確認してみたい。
北口本宮富士浅間神社の拝殿の前で執り行われている、神楽を後にして
地図の方向、西側に歩いてみた。
白装束の神職さんが足早に歩いていたので、聞いてみた。
『すみません、オクラ石って、どちらにあるんでしょう?』
『ミクラ石、ですね?』
顔が赤くなる。
読み方くらい、調べておくべきだった。
すると
『あそこに神職さんたちがいますよね。後を付けていけば、たどり着けますよ。』
と、教えて下さった。
おそらく、普段は草ボウボウ、しかし、今日のために整備されたに違いない、道を歩いて行くと、そこには…
あった‼
その、ミクラ石だ!
本当に、馬の鞍のような自然石!
(以下は、そちらからの転載です)
〈御鞍石周辺〉
▲御鞍石
『北口本宮冨士浅間神社が中心となって執り行なわれる‘吉田の火祭り’の中で、ここ御鞍石で行なわれる神事があります。祭りのクライマックス、境内にみこしが戻る直前に、暗闇の中行なわれる神事です。諏訪神社の御霊が入った明神みこしをこの御鞍石の上に置き、浅間神社の御霊が入った御山みこしはその傍らの地面にどっしりと腰を下ろした中、神事が始まります。
御鞍石の上に鎮座した明神みこし
この御鞍石のあたりには、かつて諏訪神社が鎮座していたともいわれていることから、この周辺に建物などが存在したのか、またこの場所がどのくらい昔から神聖な場所として扱われてきたのかを知る目的で調査を行ないました。
集石が見つかりました(画面奥が御鞍石)
御鞍石がのるマウンドの縁辺部で見つかった石積
調査の結果、御鞍石の前方に集石が、また御鞍石がのるマウンドの縁辺部からは土留めのための石積が見つかりました。また、寛永通宝や永楽通宝などのお金や、陶磁器片は御鞍石の周辺に集中して見つかりました。建物跡などは見つかりませんでしたが、石を信仰対象として重要視されていることが改めて確認されました。またマウンド縁辺部から見つかった石積によって、この石がのるマウンドがある段階では、現在よりも一回り小さかったことがわかりました。
以上の成果から、この場所には常設の建物などはなく、臨時に神が降りる神籠(ひもろぎ)としての性格をもった場所であると言えます。
▲作業風景
今回の調査では、北口本宮冨士浅間神社の関係者の方々のご理解とご協力により、多くの成果を得ることができました。ありがとうございました。
今後、調査成果を詳しく分析していく中で、富士山にかかわる信仰についてさらに明らかにしていきたいと思っています。』
(以上、こちらよりの転載です)
こちらは
わたしの大好きな、
あの、オホツカ宮にもほど近く
次には、ひとりで
このミクラ石と対話してみよう。
そんな、大胆な夢を見ることが出来そうな気がするのです。
〈終わり〉