今日
『吉田の火祭(よしだのひまつり)[† 1]は、山梨県富士吉田市上吉田(かみよしだ)地区で行われる祭りである。日本三奇祭のひとつ。北口本宮冨士浅間神社と境内社(摂社)である諏訪神社の両社による例大祭で、毎年8月26日の「鎮火祭」と、翌8月27日の「すすき祭り」の2日間にわたって行われる。
火祭りの名の通り、上吉田地区の金鳥居(かなどりい)から北口本宮冨士浅間神社にかけた約1キロにおよぶ本町通りの沿道では、高さ約3メートルの大松明70本から80本余りが燃やされ、各家ごと作られる井桁状に組まれた多数の松明も燃やされる。夕暮れ時、大松明に次々に火が点されると、吉田口登山道に沿った富士山の山小屋でも一斉に松明が焚かれる。麓の町と山は一体となって火祭りを繰り広げ、上吉田の町は火の海と化し深夜まで賑わう。』
火祭の起源伝説
『上吉田とその東側に隣接する新屋(あらや)地区には、諏訪神社に関連した火祭の起源が伝えられている。長野県の諏訪大社では諏訪明神は蛇体になって現れるとされるが、上吉田にも諏訪明神と蛇に関する伝承が残されている。火祭の神輿は後述するように浅間神社を出発して上町から金鳥居のある下町へと下っていく。このとき神輿と一緒に白い蛇が上吉田の町を上から下へと下っていくという。そのため御師家では火祭の当日に、屋敷内を流れる川沿いの草刈を行うなど水路を掃除し、蛇神の通り道を迎える。これを「白蛇様のお下り」と言う。』
吉田の火祭りは、諏訪神社のお祭りなのだと言われてきましたが、
やはり、白蛇さんの言い伝えが火祭りに残っていたとは驚きました。
そして、こちらの記述も興味深いものです。
『また、富士道場とも呼ばれ、今日の火祭祭礼にも深く関わる上吉田の時宗西念寺にも、次のような火祭の起源伝承が残されている。昔、西念寺の僧が諏訪へ修行に行き帰る際、木の枝を折って作った竜神を諏訪神社に祀り、その竜神を杖の頭に入れて燃やしたのが火祭であったという。また、『古事記』上巻によれば、諏訪大社の祭神、建御名方神が国譲りの力比べで負け、信濃の諏訪湖へ追い込まれた際の夜戦で松明を燃やしたところ、相手側の軍は無数の炎を援兵と見て退散したと伝わっており、これが7月21日の夜であったという。このように上吉田では、諏訪明神 - 蛇 - 西念寺 - 火祭という関連で考えられてきた。』
なぁるほど!
こちらでも、木花咲耶姫が火の中で御子を産んだという伝承に因んで、というのは やはり後付けであって
蝦夷、ミシャグチ、縄文やアイヌの火の神といった
根源的なものがルーツにあるのではないかしら?
なんとなく、そう思ったのでありました。
そろそろ