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『アタ族の聖地』②剣の意味

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わたしたちの国には

『三種の神器』なるものがあります。

勾玉

この
『三種の神器』の成立は
古墳時代(3世紀から7世紀末)あたりに
求められるようです。

弥生時代の鏡や剣は、
銅製であったようですが
古墳時代となると
鉄が出てくるのですね。

弥生時代は
『銅剣』

こちらが発見されたとき、とても印象深かったことを、昨日のことのように覚えています。
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『荒神谷遺跡』

『銅剣は実用の武器として弥生時代のはじめ頃に大陸から伝わり、日本で作られるようになってから、祭器へと変わりました。出土した358本の銅剣は、いずれも50cm前後の中細形といわれる型式で、「出雲型銅剣」といわれるようになりました。
358本のうち344本のなかご部分に「×」印が刻まれていました。その印がある例は荒神谷遺跡と隣在する加茂岩倉遺跡から出土したものだけです。「×」印の意味はいまだに謎ですが、「神霊をここに結び鎮める」すなわち埋納した剣のもつ威力が逃げないようにする為の手段などとも考えられています。』

銅剣は日本に伝わった後
祭器』と形をかえた。


その剣には
『❌』印があり
それは、
神霊をここに結び鎮める』
との意があったという。

そういえば
昨日の素戔嗚の祠の形も
『剣』でした。

素戔嗚が退治したと言われる
ヤマタノオロチの尻尾から出てきたといわれる『あめのむらくものつるぎ』が
三種の神器のひとつでしたね。

剣が出たところで

もう一度
あの
剣刀石床別神社に立ち戻ってみましょう。


『向山古墳群は、昭和50年(1975)向山小学校建設中に発見された、
市内で最も古い古墳群です。
第1・2号墳(消滅)と平成16年の緊急確認調査によると
向山小学校北側の第16号墳を加えて、
現在までに16基の古墳が確認されているが、
まだ未確認の古墳が潜在するかもしれないということです。 

出土遺物は古墳の周囲から土師器、鉄剣、鉄刀、鉄鏃が見つかっています。
13基の古墳が1ヶ所にまとまっているのは県内でも珍しく、
5世紀後半から6世紀前半の古墳時代中期に
田方平野北部を支配していた有力豪族(首長)が存在していた事がうかがえます。』



時代は弥生時代(前3世紀~後3世紀)
から
古墳時代(3世紀~7世紀末)にかけて

この伊豆国では
アタ族とカモ族の
取ったり取られたりの攻防が繰り広げられていたのだろうか?

古代の伊豆国の
アタ族とカモ族の攻防は

そのまま
田方郡(アタ族)
加茂郡(カモ族)の
勢力地図に投影されるようだ。

田方郡
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加茂郡
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この伊豆半島という土地は
石器時代から縄文時代にかけては
黒曜石の産地であり

弥生時代から古墳時代にかけては
青銅や鉄を産出し

中世では
金の産出では東北についだ、という
取ったり取られたり

男性原理が満ち満ちていた土地だったようです。

続きます。

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