『富士山の神さま』の
本当に、最後になります。
2月22日に行われた
『富士山の古代を探る』
そのシンポジウムの中で
鈴木麻里子氏は
いきなり、
歴史上最古の富士山の記録
都良香(834~874)
平安時代前期の著名な漢詩人、漢学者の
『富士山記』で
この神像の解釈をはじめます。
こちらは
この富士山の神さま、で
いく度かご紹介してきた
白衣の美女の記述があります。
そして
『あさまのおほかみ』
山を富士と名づくるは、郡(こほり)の名を取れるなり。山に神有り、淺間大神(あさまのおほかみ)と名づく。
そして
そのあとに続く
実際に登ったことがなければ
知り得ない
山頂火口の記述と
『虎岩』の表記があります。
此の山の高きこと、雲表(うんぺう)を極めて、幾丈(いくつゑ)といふことを知らず。頂上に平地有り、廣さ一許里(いちりばかり)。其の頂の中央(なから)は窪み下りて、體(かたち)炊甑(すゐそう)の如し。甑(こしき)の底に神(あや)しき池有り、池の中に大きなる石有り。石の體(かたち)驚奇(きやうき)なり、宛(あたか)も蹲虎(そんこ)の如し。
そしてそして
この神像の解釈を
ほかの文献などと照らし合わせて
氏の持論を展開するのですが…
真ん中の神仏混合の像は
あさまのおほかみ
まわりの三女神は
ここでいう白衣の美女。
(都良香の富士山記には二体となっていますが、ここでは三体)
中央のあさまのおほかみは
実は、虎岩‼
これは石神である。
つまり
あさまのおほかみは
『石神』である、と!
わたしは聞いていて
やったー!
本当に???
と、
小躍りしてしまったのですね。
なんだか、とてもとても
長いお話となりましたが
富士山の神さまは
縄文の神でもあり
弥生の時代には伊豆国の灯台でもあり
奈良時代からは
不動明王が地主(ぢしゅ)の神となり
その本地仏としての大日如来となり
平安時代に度重なる大きな噴火の度に
朝廷からは
あさまのかみ
あさまのおほかみ
浅間大菩薩
修験道と神仙思想に組み込まれて
なよ竹のかぐや姫
金色姫
やがて
17世紀の国学者の林羅山の進言あって
木花咲耶姫
しかし
大日如来が本地仏であるのなら
垂迹としての
天照大神
わたしたち人間は
今日もおやまを仰ぎながら
想像し
解釈をする。
それは
すべてが真実であり
それは
ひとりひとりの心の中
たましひの中にあるのかもしれません。
今日も富士は
黙したもう、
あるいは
饒舌に
われらに語りき。
おしまい。